【8・6豪雨 30年目の証言②】大雨土砂崩れで国道10号寸断 鹿児島・竜ケ水

死者・行方不明者が49人にのぼった1993年夏の8・6豪雨災害から、今年で30年。体験者の証言をもとに振り返るシリーズです。
2回目は、土砂崩れで寸断され、3000人あまりが孤立した国道10号の証言です。


(安田洋造さん)「道路がどっちも塞がっていた。鹿児島方面も加治木方面も塞がっていた。崖崩れで。生きた心地がしなかった。これで終わりかと思った」

鹿児島市の安田洋造さん(85)です。30年前の1993年8月6日、鹿児島市の国道10号・竜ケ水にいました。鹿児島市と霧島市方面を結ぶ国道10号は、今も昔も車の通行量が多い大動脈です。

1993年8月6日、夕方のラッシュ時間と豪雨が重なりました。
海と絶壁に挟まれた鹿児島市と姶良市の間の国道10号では、土石流が相次いで発生。国道10号とJR日豊本線の線路に土砂が流れ込み、ドライバーや乗客らおよそ3000人が孤立しました。

安田さんは当時、50代半ば。竜ケ水の国道10号沿いにあるガソリンスタンドの所長でした。

(30年前の安田洋造さん)「急に駅の方から下りてきた。ここが全部乗客で埋まってしまった。スタンドいっぱいになった」

ガソリンスタンドに降りて来たのは、裏の竜ケ水駅に止まっていた列車の乗客、およそ330人でした。大雨の影響で日豊本線は運転を見合わせ、駅には上下2本の列車が停まっていました。

駅の裏の崖が崩れることを恐れた乗務員は、乗客330人全員を列車から降ろし、駅近くにあるガソリンスタンドに誘導したのでした。

(安田洋造さん)「ガソリンスタンドは危険物取扱所だから、簡単に誰でも入れる訳にいかない」

Q.危険物がある所に避難者を入れることに迷いは?
(安田洋造さん)「ない。みんな一緒に助かって(竜ケ水から)避難できたらいいということだけ」

周囲には列車の乗客だけでなく、多くの車が立ち往生していました。
避難を受け入れた安田さんは、事務所の電話で消防に状況を報告。5人の従業員にはガソリンスタンド裏の崖の監視に当たらせました。

(安田洋造さん)「お前たちは海側から崖を見ておけと言った。ガソリンスタンドでは後ろの崖が崩れても見えない」

避難した人たちはスタンドに1台だけあった公衆電話で家族に連絡を取りましたが…。

(安田洋造さん)「携帯電話を持っている人がいなかったから、スタンドの電話を貸してくれと言って家族に連絡していた。雨の影響で使えなくなった。あちこちで崖崩れがあったから断線したのだろう。自分もだったが、諦めムード」

10号線には少しでも崖から離れようと、車から出て道路に出た人たちも。

命の危険が迫る中、竜ケ水駅横の崖が午後7時半ごろに崩れ、土石流が駅と列車を直撃。さらに、ガソリンスタンドのすぐ近くで救助の船を待っていた人たちも襲いました。10数人が海に転落し、このうち3人が死亡しました。

竜ケ水付近では、およそ4キロの区間で30か所以上、土石流が発生しました。

(安田洋造さん)「もう思い出したくない。死ぬかと思った。前が海、後ろが絶壁。逃げ場がない。自分自体がかなり慌てふためいていた」

海からの救助が国道10号に駆け付けたのは、夜になってからでした。安田さんも知り合いの船で従業員とともに竜ケ水から脱出。孤立した3000人の救助は、漁船やフェリーなどで夜を徹して行われました。

国道10号沿いでは、竜ケ水では土砂崩れで海に落ちた人など4人が、花倉で土石流が病院を直撃し、入院患者や近くの人、19人が亡くなりました。

安田さんは8・6豪雨の後、毎年、梅雨の時期にある備えを続けました。

(安田洋造さん)「船を持っていて、竜ケ水のガソリンスタンドの前に持って来て係留していた。いつでも脱出できるように考えた。
梅雨は早く過ぎてもらいたいとか、梅雨はない方がいいと考えたことはある。何で雨がこんなに降るかと思ったことが多かった」

(MBCニューズナウ 2023年7月25日放送)

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