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30年前の8・6豪雨被害は事前の「想定どおり」 それを上回る現在の想定でどう備えるか

1993年の8・6豪雨で市街地が水に浸かった範囲は、実は、甲突川を管理する鹿児島県の事前想定とほぼ一致していました。いわば「想定どおり」の洪水となった災害だったのです。30年後の今、県は、かつてを上回る最大規模の浸水想定をしています。
当時、災害対応に当たった元県職員や専門家は、この想定を基にして、わがこととして備えることが重要と訴えます。


甲突川にかかっていた5つの石橋のうち、2つが流出した8・6豪雨。

残る3つを災害のあと移設・保存した石橋記念公園です。ここに、県が行ったある実験のようすをいまに伝える写真が展示されています。

来るべき洪水に貴重な文化財の石橋は耐えられるのか、8・6豪雨よりまえに行った模型での実験を撮影した写真です。

当時、県は洪水に備えさまざまな検討を水面下で進めていましたが、その中に今は残されていないものの、氾濫した場合に市街地がどこまで水に浸かるかを示した図面もありました。

この春定年退職した、当時、県・河川課の新田福美さん(61)は…

(新田福美さん)「大きい洪水が来るということは以前からわかっていたので、想定はして検討は進めていた。(現実の浸水範囲と)ほぼ合致していたと記憶」

甲突川上流で3時間雨量が223.5ミリに達した8・6豪雨。川から溢れた濁流が国道3号などから市街中心部になだれ込みました。

一連の死者・行方不明者49人のうち、洪水による犠牲者は3人。稲荷川、新川も含めると浸水面積は621ヘクタールに及び、浸水家屋は1万3908戸に上りました。

この浸水範囲が、事前に県が想定していたものと一致していたと複数の関係者が語ります。

そのうちのひとり、県河川課の職員だった新田さんはあの日、雨が小康状態になった午後7時すぎ、上司からの指示を受け、天文館から当時の市立病院に向け、現地調査に向かいました。

(新田福美さん)「ここから先は別世界。濁水の海になっている状態でびっくり」

8・6豪雨の後、さまざまな資料で使われた天文館の写真。左に写っているのが調査に向かう新田さんを後ろから同僚が写したものです。

(新田福美さん)「一番深いところで私のちょうど胸ぐらい。雑貨・菓子袋など、いろんなものが浮いている状態」

電車通りで新田さんはさらに衝撃的な場面に出くわしました。

(新田福美さん)「帰宅困難者でバス停とか人が溢れていて。その光景は焼き付いていて。資料で浸水区域とは見ていたが、実際見たら悲惨な状況。なんといっていいかわからない」

当時、県がまとめた浸水想定は、内部資料として公開されていませんでした。潮目が変わったのは2001年の水防法改正がきっかけ。頻発する豪雨災害を念頭に公開が義務付けられ、甲突川でもいまでは8・6を大きく上回る1000年に1度の大雨を考慮した最大の浸水想定区域が市のハザードマップで示されています。

あわせて川の改修も進み、いまや8・6と同じ雨の量にも耐えられるとします。県は…

(県河川課・福永和久課長)「本当に事象が起きた時に一瞬でも(最大浸水の)状態は起こりうるということを認識していただいて、対応する避難行動に役立てていただきたい」

しかし、鹿児島市中心部に甚大な浸水被害を与えうるにもかかわらず、甲突川は、氾濫発生や溢れた水の量、そして浸水する範囲を即時に伝える「洪水予報河川」に指定されておらず、あくまで川の内側の水の量のみを伝える「水位周知河川」にとどまっています。

8・6のように市電や車などが浸水範囲に入り、立ち往生しないよう、いかに素早く情報を伝えるか?仕組みづくりは道半ばです。

(県河川課・福永和久課長)「川の外側の情報をどう届けていくかという難しさはあるが、いまの河川砂防情報システムでは、河川の水位とカメラの画像情報でパソコン・スマホでも見られる」
「そういった情報を逐次、見ていただいて、川が溢れていたというのであれば、流されるということも念頭に置いて行動していただきたい」

鹿児島市の試算によると、甲突川・稲荷川・新川で最大規模の浸水となった場合、その範囲に住む住民は12万9234人に上ります。

鹿児島大学の井村隆介准教授は、住民が立ち退き避難するにあたり、市のハザードマップには盲点があると指摘します。

(井村隆介准教授)「避難所には開設順があるので、最初に開くところで一番近いところはどこなのか、知っておかなくてはいけない」

8・6豪雨から30年、浸水想定の公開も含め、何らかの手立てはなかったか?元県職員の新田さんはいまも自らに問いかけます。

(新田福美さん)「もしその当時からそのようなソフト対策について(県に)考えがあれば、資料があったわけだから、公表できていれば(災害は)違った形になったかもしれない」

鹿児島大学の井村准教授は30年前を振り返るだけでなく、8・6を超える想定に焦点を当てるべきと、くぎを刺します。

(井村隆介准教授)「8・6水害というものに対してあの時こんなことが起こったではなく、今起こったらどうか。8・6水害はある意味、想定内。それを超えた時にどうなるかということを考えておかないといけない」

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