【終戦の日】鹿屋の地で後世に語り継ぐべきもの

ポニー号より脇野です🐄
8月15日は終戦の日ということで、知覧と同様に多くの特攻隊員が飛び立った地・鹿屋へ行ってきました🍀
鹿屋は太平洋戦争時には3つの飛行場が存在し、今も多くの戦跡が残る場所。また

  • 真珠湾攻撃の相談がなされたといわれる『鹿屋会談』が行われた地であること
  • 特攻作戦の前線基地である第五航空艦隊司令部が設置されたこと
  • 出撃地別の特攻戦死者が908人と最多であること
  • 人間爆弾といわれた「桜花隊」が出撃した唯一の基地であること
  • 戦後、金浜海岸にアメリカの進駐軍が上陸したこと

などの歴史がある場所でもあります。
そんな鹿屋で平和学習ガイドの戦争遺跡調査員として活動をされている迫睦子さんにお話を伺いました🍀

2015年に鹿屋市の認定を受けて活動を始めた鹿屋平和学習ガイドは、個人や団体に向けて戦跡の案内や戦争体験の聞き取りを主な活動内容とされています。迫さんはもともと教員として地域に根ざした平和教育をしていたそう。
鹿屋に残されている主な戦跡として

  • 桜花の碑・野里国民学校跡(戦争末期、人間爆弾・桜花作戦を行った神雷部隊は野里国民学校を宿舎としていました。特別攻撃隊員たちが別れの盃を交わした地に建っています。)
  • 川東掩体壕(敵機の空襲などから飛行機を守るために作られた格納庫)
  • 地下壕第一電信室(串良基地から飛び立った特別攻撃隊員が突撃前に送る電信を受信していた場所)

 
また、戦争体験の聞き取りの活動として当時小学生、中学生、女学生だった方々、実際に戦場にいかれた方など多くの方にインタビューをされているとのこと。
「一人ひとりの経験は重いもの。正しく伝えていきたい。」
「生きるということが保障されていない時代。若き特攻隊員がどのような想いをしていたのか、また身近なところでこのような出来事が起きたということ、多くの戦跡が残されているということを知ってほしい。」
と話してくださいました。
戦後73年を迎え、語り継ぐ人が少なくなってきているのが現状。ぜひこれを機に平和学習ガイドなどを通して、過去の出来事に触れるひとつのきっかけにしてみてください🍀

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