車いすマラソンのレガシー“こころのバリアフリー”
毎週金曜日は、社会福祉法人 鹿児島県身体障害者福祉協会 スポーツ情報課長で鹿児島県障害者スポーツ協会事務局長の前田 究さんのご出演。
今週はMBCラジオ・テレビの『種子島ふるさとウィーク』に関連して、前田さんも種子島の思い出を語ってくれた。
前田さんが初めて種子島に足を踏み入れたのは、鹿屋体育大学1年生の夏休み。
西之表市出身の先輩に連れられ、当時就航していたフェリー出島で種子島へ。京都出身の前田さんは、種子島の海のあまりの美しさに衝撃を受けたそうだ👀✨
その後すぐ、事故で車椅子生活になり「もう種子島のきれいな海を見ることはできないのかな」と思っていた前田さんに、種子島から思いがけない連絡があった。
それは「種子島をバリアフリーの島にしたい!」という目標で、車いすマラソンを開催できないか、という相談だった。
ちょうどその頃、県内の車いすマラソン愛好者で陸上競技連盟を立ち上げていた前田さんは、コース選定のため、再び種子島を訪れた。
コースは、道幅や起伏などを実際に確かめ、レーサーと呼ばれる競技用車いすで安全に走ることができ、かつ景観も美しい場所に決定。
他県のレースが少ない夏、夕陽を見ながら走るという前例のない、しかも県内初となる車いすハーフマラソン『種子島サンセット車いすマラソン大会』が1999年7月に開催された。
そのスタートの様子はMBCテレビでも中継され、選手たちも沿道の応援も盛り上がったそうだ。
前田さんも選手として参加し、手作りの横断幕や声援、ボランティアの皆さんの温かさに触れ感動したと振り返る。
レースが終わっても種子島のおもてなしは、まだまだ終わらない。
夜は、選手と地元の人たちが一緒になってバーベキュー大会でさらにヒートアップ。前田さんの種子島の思い出の味は、ナガラメ(トコブシ)だそうだ。大会を通して生まれた交流の一番の成果は、障害についての理解が深まり、どのように手伝いが出来るのかを知ってもらえたこと。
その後、2015年に開催された第17回大会で終了となったが、種子島のバリアフリー化は大成功。
🗣「物質的なバリアはまだあるかもしれないが、“こころのバリアフリー”が育まれた。」と前田さん。
障害のある人もない人も、お互いを理解し合う優しい気持ちが、サンセット車いすマラソンのレガシーとして種子島に根付いた。前田さんはまた、ナガラメの旬の時期に、温かい人に会いに、素敵な島、種子島を訪れるだろう。
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