明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今週も西郷さんの言葉を書き残した「西郷南洲遺訓」からご紹介してきました。
今日は、第37条「誠意、真心は時代を超える」という教えです。
後世までもずっと信じることができ、感動を与えられることができるのは、
ただ一つ「真心」だけである。
つまり、その行動に、真心、誠意が込められているかどうかなのだ。
昔から父親の仇を討った人は数え切れないほどいるが、
その中で曽我兄弟の仇討ちだけが、今の世に至るまで、
子供や女性まで知らぬ者はいないくらい有名なのは、
曽我兄弟の真心が抜きん出て深いからであろう。
誠意や真心がないのに世間から褒められるのは、偶然の幸運に過ぎない。
真心が深ければ、たとえその当時は知る人がなくても、
後の世に必ず知られ、心動かされる人が出てくるものである。
真心や誠意はどんな時代にも通じ、どんな人にも感動を与えると西郷さんは説いています。
その例として挙げられる「仇討ち」。武士にとっての仇討ちは、道徳上、大変重要な位置づけでした。その中でも曽我兄弟の仇討ちは、鹿児島城下で行われていた郷中教育の中で、親孝行をしようとする心=孝心、忠実な心=忠心を教えるために勉強の題材になりました。
中でも富士の裾野で兄弟が力を合わせ、父の仇討ちをした際、傘をたいまつ代わりにした故事に習って、和傘を燃やす祭りが開かれるようになりました。
鹿児島市の甲突川河畔で毎年夏に行われる「曽我どんの傘焼き」も、その伝統行事の一つとして行われています。
来週も、西郷南洲遺訓から、西郷さんの教えをご紹介して行きます。