【8・6豪雨 30年目の証言①】甲突川が氾濫「無力感も…」
1993年夏の8・6豪雨災害から、今年で30年。
この時は、梅雨の長雨や局地的な豪雨によって各地で土砂崩れが相次いだほか、鹿児島市中心部でも河川が氾濫し、死者・行方不明者は49人、浸水被害およそ1万3000戸の甚大な被害を出しました。
8・6豪雨災害について体験者の証言をもとに振り返ります。
1回目は、甲突川沿いで暮らす人たちの証言です。
(中島隆さん)「もっとすごい流れで押し寄せてきたらどうしようか、津波みたいになったらどうしようかというのはありましたね。あまりにも流れが速かったから」
鹿児島市草牟田の商店街で酒屋を営む中島隆さん(62)です。30年前の8月6日、大雨によって甲突川が氾濫し、流域の広い範囲が水に浸かりました。
草牟田商店街では人の首あたりまで水が迫り、車やトラックも動けなくなりました。中島さんの店も、1.2mほど水に浸かり、2階の喫茶店に避難しました。
(中島隆さん)「洗濯機とかが流れてくるので(水の流れが)速いというのは分かるんですよね」「泳いでいるおじさんがいたんですよ、何かにつかまって。上から行くな!行くなと言ったんですよ。後から亡くなられたと聞いたのでショックですよね」
水に浸かった商品の多くは酒造会社が引き取ってくれたものの、冷蔵庫や車なども水没し、手放さざるを得ませんでした。
(中島隆さん)「結局笑うしかないとみんな思っていた。ここまで壊れると。開き直りみたいなものがあった感じだった」「無力感というか、どうしようもないというところから来ているのかもしれない。食らった者しか分からない…」
(記者)「草牟田地区から1キロほど下流の新上橋も大きな被害を受けました」
橋の近くにある時計店の2代目・井上大平さん(52)です。
(井上大平さん)「ただごとではないと。経験したことのないような雨の強さだし、川自体が溢れそうな感じだったので、とても心配だった」
30年前の新上橋です。アーチの半分ほどまで水位が上昇。溢れた水は新上橋付近を襲い、道路がまるで川のように。そして…。
(当時の映像)「武之橋に次いで新上橋も無残に壊れてしまいました。欄干5メートルほどは残っていますが、しかし完全に崩れ落ちています」
(井上大平さん)「急に水の流れの方向が変わって(店のある)商店街の方に濁流が増えた。後で思えば、その瞬間に崩れたんだという気がする」
(井上大平さん)「新上橋と言うのは、地元にとってはシンボルのようなもので、地名(住所)を言うよりも、新上橋だよと育ってきたので、それがなくなって失われたというのは信じられない」
井上さんの店舗兼住宅も浸水被害を受けました。
(井上大平さん)「最初は入口にタオルを敷いて、入ってこないようにせき止めて、バケツで水を出していた。このままじゃ終わらないよね、どこまでくるのと思って」「排水溝からどんどん溢れてくる。もう恐怖ですよ」
妻の奈美さん(50)です。結婚前だった奈美さんはあの日、JR竜ケ水駅で列車に乗っていました。土石流によって孤立し、船で救助されたおよそ3000人の一人です。
(井上奈美さん)「時間が長かった。暗闇の中でずっと待って、どうしたらいいのだろうと」
「(先日)実家に帰ろうと思って行ったら、すごく竜ケ水だけ雨。他のところも強かったけど、車を運転していても怖い。雨が強くなると思い出す」
救助にきた桜島フェリーに第一陣で乗り込むと、翌明け方に最後の人たちが救助されるまで、船の中で温かいお茶を配るなどの手伝いを続けたといいます。
(井上奈美さん)「最後に赤ちゃんを抱っこされているお母さんがいて、くたくたになっていて、私が抱っこしますよって言って、赤ちゃんを抱っこして(フェリーを)降りた。
みなさん、ずぶぬれになっていて、私より年上の方もいっぱいいたので、ただ一生懸命やっていただけ」
あれから30年、井上さん夫婦には、災害の経験を忘れないようにと、大切に取っているものがあります。
(井上大平さん)「昔の時計のガラスで、よく見ると砂が入っている」
「やっぱり慣れてしまうと面倒くさいから、もういいやとなってしまうので。自分の戒め、気をつけないといけない」
「本当に災害はいつ起こるか分からないので、常日頃の備えが大切なのではないかと、今思えばそう思う」
(MBCニューズナウ 2023年7月24日放送)