薩摩の教え

郷中教育の「学び」について①

明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。先週は、加治木・精矛くわしほこ神社の宮司を務めるかたわら、薩摩武士道の精神を継承する活動に取り組んでいらっしゃる加治木島津家第13代当主・島津義秀よしひでさんに、郷中教育の歴史についてお伺いしました。

戦国時代、関ヶ原の戦いにおける島津勢の敵中突破の逸話を聞くために若者が集まったことが郷中教育の原点というお話、とても興味深く伺いました。その郷中教育の中で、若者たちは何を学んだのか、引き続き島津さんに伺いました。


 

(島津さん)結局、関ヶ原が終わった直後は、まだ関ヶ原は終わっていないんじゃないかという状況を薩摩は認識していて、戒厳令的なものが敷かれるわけです。いつ徳川が攻めてくるかわからない、いつ東軍の輩が来るかわからないと。

で、戦に備えよ、という話が先に立ちます。そのためには心身、身体を鍛錬し続けよと。
で、お互いの住んでいるエリア、それを郷と言いますけれど、その結束力を高めよと。一つ旗のもとで薩摩を守れという教えに変わって行くわけですね。

ですから、そこで生まれた言葉が、例えば、中の秩序を乱さないために、「嘘を言うな」とか「山坂達者」、常に足腰を鍛えておけ、ということ。最たるものが、武術を極めよ。「武道をたしなめ」と書いてあります。そういったいくつかの掟が確立されていきます。

それを一つの教育指針にして、この郷中のなかで育んでいくわけであります。これを非常にざっくり言えば一つの騎士道精神、イギリスのナイトですよね。騎士道精神と似ています。

主君のために命を投げ出すことを厭わない、義を守る、という感じでありまして、その主君が島津の殿様だったということですね。そういう教育を徹底して、各村々、各郷で行っていくということです。

 


関ヶ原の戦いで勝敗が決し、太平の世を迎えた中で、薩摩では、いつ敵方が攻め込んでくるかわからない、という緊張感が薄れることなく、「武力を磨き、主君に仕えよ」という士風が継承され、郷中教育の中でさらに醸成されていったのですね。

それでは、明日も、郷中教育の学びについてお送りします。

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