薩摩の教え

なぜ鳥羽伏見の戦いは起こったか?~加来耕三さんのお話①

明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今日からいよいよ、西郷さんが残した教えともいうべき「西郷南洲遺訓」についてお伝えしていきます。

全部で43項目ある遺訓に入る前に、まずは導入篇・・・ということで、今週1週間は、歴史家の加来耕三さんに、お話を伺いました。

 

南洲翁遺訓というのは、わざわざ庄内藩の人たちが西郷を訪ねて来て、西郷に話を聞いて、それをまとめて、これでいいですか(聞き間違いはないですか?)…と確認したうえで発表したもの。
その意義はとても大きい。もしそれがなかったら、西郷さんが何を考えていたか、今の人たちは知ることができなかった。庄内藩はそもそも朝敵ではなかった。(鳥羽伏見の戦いには行っていないから)

鳥羽伏見の戦いが起こったのは、江戸の薩摩藩邸を庄内藩が焼き討ちしたから

江戸の治安を守っていた庄内藩は、江戸城の二の丸に火をつけたりした(幕府に手を出させるため、先に手を出した)薩摩藩を、3000の兵でもって焼き討ち。それで100人くらいが死んだり捕らえられたりした。その話(庄内藩が勝った、焼き討ちしたという)が大阪に伝わった。

そこで、大阪城にいた15代将軍・慶喜が、「よし、やってやれ!」ということで、討薩の標を掲げて一気に鳥羽伏見に討って出てきた。
だから、庄内藩が焼き討ちをしなければ、鳥羽伏見の戦いはなかった。。。

 

明日もお楽しみに。

お便り ご紹介⑤前のページ

西郷はなぜ庄内藩に寛大な処分を?~加来耕三さんのお話②次のページ

関連記事

  1. その他

    岩﨑弘志にとって「薩摩の教え」とは

    『薩摩の教え~歴史の力を未来のチカラへ~』、昨日の放送でも申しましたが…

  2. 薩摩の教え

    郷中教育55

    今朝も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。今週は、…

  3. 薩摩の教え

    西郷南洲遺訓 第15条「軍備は無駄に拡大してはならない」

    先月から西郷さんが遺した教え、「西郷南洲遺訓」をご紹介しています。…

  4. 薩摩の教え

    水野さんにとって、西郷とは~水野貞吉さんのお話③

    山形の地で西郷さんの教えを今も伝え続けていて下さる庄内南洲会の理事長・…

  5. いろは歌

    いろは歌「ゐ」(25番目の歌)

    今日は、いろは歌の25番目の「ゐ」の歌をご紹介します。亥いに臥ふして…

  6. 薩摩の教え

    自彊学舎の活動①

    昨日は、薩摩武士道の精神を継承する活動に取り組んでおられる島津義秀よし…

PAGE TOP