薩摩の教え

西郷はなぜ庄内藩に寛大な処分を?~加来耕三さんのお話②

明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今週から、西郷さんが残した教え、「西郷南洲遺訓」にはいりました。

まずは導入篇・・・ということで、今週1週間は、歴史家の加来耕三さんに、お話を伺っています。

 

(薩摩藩邸を焼き討ちした)庄内藩は、とんでもない処分を下されるだろう…と覚悟していた。なにせ藩邸を焼いているし、何人か死んでいるから。

が、総司令官の薩摩のナンバー3・黒田は、寛大な処分を伝えた。
帯刀を許し武器弾薬庫は封印さえしてくれればいい、あとは今までどおりでいい…と)

何故そんな寛大な処置を?と尋ねると、「これは西郷さんの指示である」と黒田。
それに感動した庄内藩の藩主自身が、家臣を率いて、鹿児島に留学してくることに。。。

(庄内藩の)殿様が、鹿児島の私学校で大砲担いだりして軍事訓練にも参加(!)。そんな中で、西郷に聞いた話をまとめたのが南洲翁遺訓

それにしても、西郷は何故そんな寛大な処分を?

(いまだに、はっきりはわからないが)一つには、薩摩は強いやつが好き
(庄内は、奥羽越列藩同盟で唯一負けていない。酒井の豪商の後ろ楯で最新兵器を持っていた)

それともう一つ、西郷にしても、江戸でとんでもないことをやらしていた
(戦争に持ち込まなければ、新しい国づくりはできない…ということで、追い詰められてではあったが)

非合法的なことをやっていた後ろめたさ、そんな「お互い様」の気持ちが合わさって生まれたのが、この南洲翁遺訓。。。

 

明日もお楽しみに。

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