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慶応4年8月30日 会津十六橋 薩摩藩兵戦う

きょうは慶応4(1868)年8月30日です。先週22日、会津藩の重要拠点、十六橋を征圧した薩摩藩兵の詳しい戦いぶりが分かりました。

会津攻めを始めた新政府軍は、今月22日、猪苗代湖の北、日橋川にかかる十六橋に向かいました。

この橋を渡れば、会津の本拠・鶴ヶ城まで、わずか8キロで、途中に障害はありません。会津藩は十六橋の周辺に600を超える藩兵や、少年兵からなる白虎隊を置く一方、新政府軍の侵入を防ぐため、橋の破壊に着手しました。

そこへ薩摩藩の小銃四番隊が到着。空腹と疲労で不機嫌な薩摩藩兵に対し、隊長の川村純義は、こう焚きつけました。「見いやい、橋が壊されちょるぞ。早ように奪わにゃ、おはんら、こげな冷たか川ば、泳いで渡るこつにないもんど」

それを聞いた薩摩藩兵は、叫びました。「こん、憎か会津のワロがァーッ」殺気立った薩摩藩兵は、チェストと声を上げまっしぐらに橋に突入。

会津側はあわてて撤退し、新政府軍は、十六橋を渡ることに成功しました。