慶応4年6月19日 新政府「東西両都」案 検討
きょうは慶応4(1868)年6月19日です。新政府が東西で二つの都を設ける案を検討していることが分かりました。江戸への首都移転も視野に入っています。
関係者によりますと、2か月前、新政府の東征大総督軍監・江藤新平と、軍務官判事・大木喬任から東西に二つの都を設ける「東西両都」案が提出されていました。
これは、朝廷の権威が行き届いてこなかった東日本を治めるため、江戸を東の都とし、将来的には京都と鉄道で結ぶという内容でした。
新政府はきょう案の実現性を調査するため参与の木戸孝允と大木を京都から江戸に派遣しました。
新政府では、参与の大久保利通が当初、大阪への遷都を構想していましたが、大久保は、前島密から江戸を都とする案を示され、首都移転も視野に検討をしているということです。
大久保もきのうイギリスの蒸気船で大阪から江戸に出発しています。