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【シリーズ関東大震災100年②】「“耐震化してるから地震に強い”は違う」関東大震災100年 首都直下地震のリスク 震災を“予見”した学者は、禁じられた遺体の写真をあえて載せた(2023年4月14日放送)

明治以降最悪の関東大震災から100年のシリーズ特集、2回目です。
平成に入り相次いだ阪神・淡路大震災や東日本大震災を受け、首都直下地震について国が対策を進めています。開発が進んだ首都圏のリスクにどこまで対応できるのか?専門家は多くの課題を指摘します。

【シリーズ関東大震災100年】記事一覧


1923年・大正12年の関東大震災。犠牲者10万5000人余。直接の被害額だけで当時の国家予算の4倍(55億円)。死者だけでなく各地への避難で東京市の人口が大阪市に抜かれる「大大阪」時代となるなど、日本はまさしく存亡のふちに立たされました。

あれから100年、震災後、帝都復興のシンボルとして隅田川にかけられた永代橋です。周辺には高層ビルやマンションが立ち並び、いまや巨大地震の痕跡は見られません。

■「耐震化進んだから死者6148人」本当に?

来るべき地震にどのように備えるのか?
いま、国が対策を進める首都直下地震。想定は阪神・淡路大震災と同じM7.3です。これは関東大震災の20分の1の規模にすぎません。死者は2万3000人です。

これを受け、東京都も去年10年ぶりに想定を見直し、耐震化などが進んだとして都内での死者を最大6148人とし、これまでより3500人減らしました。関東大震災の規模を想定した被害も今回出しましたが、死者は最大1971人。

国や自治体の委員を歴任する専門家は。

(関西大学 河田惠昭特別任命教授)「もっと大きな被害が出る。心配しているのは、一応M7.3と、阪神・大震災と同じように(規模を)おいているが、7.3で起こる保証はない。しかも関東ローム層に覆われているので、活断層の長さなんてわからない」

地下鉄・羽田空港・首都高速・新幹線、超高層ビル、すべて震災後に作られました。河田特別任命教授はそのリスクを指摘します。

(関西大学 河田惠昭特別任命教授)「関東大震災の時は地下鉄は無かった。当時無くて、いまあるものはいっぱいある。しかもそれは関東大震災級の揺れを経験していない。大丈夫だとの保証はない。直接死で亡くなるとして、5万から10万」

■解決が必要な「過密リスク」は限界

関東大震災研究の第一人者で国の首都直下地震検討会の委員も務めた名古屋大学の武村雅之特任教授は、過密リスクはすでに限界と語ります。

(名古屋大学 武村雅之特任教授)「群衆事故で人が大量に死ぬ。各地で起こるかもしれない。どうしても解決しなくてはいけないのは過密。容積率をどんどん緩和していくということじしんがおかしい」

震災後の復興事業で、区画整理や道路の拡張を押し進め、地震に強いまちづくりを目指したはずの東京。この間の歴史を見つめ直し、なにが教訓なのか改めて考えるべきと訴えます。

■「耐震化しているから地震に強い」は違う

(名古屋大 武村特任教授)「耐震設計さえしていれば地震に強いまちだと言っていたけれど、違う。ぎゅうぎゅうに建てて人間を密集させてしまうと非常にいろいろな危険が起こるし、防災上の問題も出てくる。関東大震災が起こった、そのあとに帝都復興事業がなされた、そのあと何があったか。いまにどう繋がっているか。一連の流れとしてみると、教訓がもっとちゃんと生きてくる」

南海トラフ巨大地震の対応を検討した国の委員で、地震予知は「できない」との報告をまとめたひとり・東京大学の井出哲教授です。想定自体、大きな幅をもち、どこまでリスクに備えるかは政治的な判断の部分が大きいと指摘します。

(東京大学 井出哲教授(地震学))「もちろん関東大震災で10万人亡くなっているのはとんでもないことだが、けっしてこれ以上のストーリーが作れないかというと、もちろん作れる。小さい確率を言い出したら、それをすることの意味を考えて、やはりできなくて、それくらいの値が出てきたということ」

未曽有の災害となった関東大震災。しかし平成に入り続いた、阪神・淡路大震災や、東日本大震災、熊本地震でさえも、想定外・異例との言葉が繰り返されました。

■関東大震災を“予見”した学者 差し止められた遺体の写真を掲載した

関東大震災以前、来るべき地震で最悪10万人以上の死者が出るおそれありと指摘していた、東京大学助教授で鹿児島市出身の今村明恒。震災後にまとめた震災予防調査会報告です。その中で今村はこう訴えました。

「健忘症ノ我同胞ハ既ニ大正ノ惨禍ヲモ忘レントシテ居ル」

10万5000人もの死からわずかに1年半、今村の目にはすでに風化のきざしが見えていました。

「惨状ヲ物語ル写真ガ最モ生々シタ観念ヲ与へ、最モ崇高ナ訓戒ヲ加フル、横死者ノ写真ハ有益ナ教訓ヲ後世ニ貽ス」

悲惨な写真こそ教訓を残すと言い切り、差し止められた3万8000人が亡くなった被服廠あとの写真を、内部向けの報告書で掲載しました。
今村の思いは?

(名古屋大 武村特任教授)「当時、遺体の写真なんてものは載せてはいけないとの話になった。だけど彼(今村明恒)はどうしても載せたかった。国民の生命・財産を救いたい、そのときに、国民がそれぞれ持っている防災意識を高くしておくことが非常に重要だということを、心底思っていた」

次なる地震から人々の命を守ろうと、警察・内務省にも引かず尽力した今村明恒。教訓とは?備えとは?その思いはいまも古びていません。

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