【シリーズ関東大震災100年①】墨田区の1か所で3万8000人死亡「火災旋風」と「巨大地震」今もリスク…「震災は人の力で防ぎとめられる」関東大震災を“予見”した今村明恒(2023年4月13日放送)
ことしは、1923年の関東大震災から100年の節目です。
犠牲者の数は、平成に発生した阪神・淡路大震災5500人、東日本大震災の1万8000人を大きく上回り、関東大震災は最悪の10万5000人です。
この未曽有の地震災害を巡っては、鹿児島出身の研究者が事前に危険性を指摘していました。MBCテレビでは震災が起きた9月1日の防災の日に向け、シリーズでこの巨大地震を検証し、教訓に迫ります。
1923年9月1日、午前11時58分、相模湾北西部のプレート境界が震源のマグニチュード7.9と推定される巨大地震が起きました。
関東大震災です。最大震度7に達したとみられる激しい揺れで、住宅10万棟余りが全壊。さらに昼食の準備で使われていた火などが燃え広がり、東京市の4割が焼失。死者は10万5000人に上りました。
■1か所で3万8000人が死亡…火災旋風 今もリスク
最悪の被害となった陸軍・被服廠跡地にある東京・墨田区の横網町公園です。慰霊堂に犠牲者らの遺骨が安置されています。
かつて広大な空き地だったこの場所に家財道具を抱えた4万人が逃げ込み、やがて襲った火災で大半の3万8000人が死亡しました。人々は火災旋風と呼ばれる猛烈な突風で吹き飛ばされ、火の粉を浴び、家財道具ごと燃え上がる灼熱地獄の中、逃げ場を失い次々に息絶えていきました。
記念館には、そのとき旋風で巻き上げられ、焼けた木にひっかかったまま残されたトタンと自転車が展示されています。
(東京都慰霊協会・菊池正芳事務局長)「当時どれだけの風があって、火災旋風があったのか。本当にトタンがぐちゃぐちゃになっちゃうのだねということを見ていただける」
失われた多くの命を供養し、記憶を次の世代へ。事務局長は思いをかみしめます。
(東京都慰霊協会・菊池正芳事務局長)「阪神・淡路大震災があったり東日本大震災があったり、100年とは言っても昔のことではない。同じことがまた繰り返される可能性があるということを、日々伝えていくというのが大きな使命」
■“炎の竜巻”直径30m 高さ50~200m 物も人も吹き飛ばし火をまき散らす
市街一円が炎に包まれる中、火災旋風は大小100余り発生したとみられています。
調布市の消防研究センター。分析を進める篠原雅彦主幹研究官。炎の横から風を送る実験映像でメカニズムを説明します。
(篠原雅彦・主幹研究官)「関東大震災で被服廠跡を襲ったのは、直径30メートルぐらい、高さ50~200メートルぐらい。大気の中に渦はいくらでも巻こうとしている性質がある。それが火事があると性質を集めて一点で上に巻き上がって火災旋風になる」
野焼きで発生した火災旋風です。旋風は火を伴う場合と、伴わない場合があり、火があれば火の粉を飛び散らせ、火がなくても移動を続け被害を拡大させます。
(篠原雅彦・主幹研究官)「物が吹き飛ばされる、木が折れて吹き飛ばされる、そういうのが人に当たる、人自体が吹き飛ばされる。さらに悪いことに、火の粉を吹き飛ばして、ものすごく燃え広がるスピードが速くなる。火が入っていない火災旋風だと、それが遠くまで移動してくる。風の害は竜巻と一緒」
■関東大震災の被害 「予見」していた学者がいた
犠牲者のうち、9割が焼死とされる関東大震災。危険性を震災まえから指摘していた研究者がいました。東京大学・助教授で鹿児島市出身の今村明恒です。
震災18年前の1905年、今村は今後50年間に東京で巨大地震のおそれありとして、予想される被害を示していました。
「恐らくは全市灰燼に帰すべし。死者に於いて十萬以上を算するに至るべし」
最悪10万人から20万人が犠牲になる。根拠となる手がかりは災害の歴史でした。
墨田区の回向院です。江戸時代の1657年、10万人が焼死したとされる明暦の大火で犠牲者を供養したのが始まりとされています。江戸に始まる東京の歴史は、地震や火事など苦難の歴史でもありました。回向院もたびたび焼け、再建を繰り返してきました。
(回向院・本多将敬住職)「あっという間に災害によって命を奪われてしまった。どの命をとってもむだな命はなくて、その命を全部引き継いで今の我々がある。生きるということを改めて考えて欲しい」
災害とともに生きてきたまち・東京。その危険性を事前に訴えた今村明恒。
関東大震災を長年研究してきた、名古屋大学の武村雅之特任教授です。「根拠のない浮説」=デマとまで言われた予測を的中させたことよりも、耐震化を始め、備えの必要性を訴え続けた今村の姿勢に注目します。
(名古屋大・武村雅之特任教授)「あれだけ国民の生命・財産を守るということに注力するということがすごいこと。口先では皆言う。今村はそこが偉い」
震災後、東大教授となった今村が中心となり、まとめた震災予防調査会報告100号です。膨大な犠牲を前に「地震学者として誠に慚愧に堪えない」として6冊にわたる資料を次の世に残した今村は、その後も講演や録音を通じ、地震そして火災への備えを訴え続けました。
「地震は人の力で押さえつけることはできませんが、震災は人の力で防ぎとめることができます」
生涯にわたり、次なる地震への警鐘を鳴らし続けた今村明恒。私たちはその思いを受け止めて生きてきたか?節目のことし、巨大地震の教訓そして備えのいまを検証します。