【雨期防災】「災害は当たり前、覚悟持って」広島土砂災害から9年、地域で築いた独自の備え(MBCニューズナウ 2023年7月7日放送)
鹿児島県内では先週から、発達した雨雲がかかり続ける線状降水帯が相次いで発生するなど、各地で記録的な大雨となりました。
広島県でも9年前、大雨で土砂災害が相次ぎ、あわせて77人が犠牲となりました。この災害をきっかけに、「自分たちの身は自分で守ろう」と、模索を続ける街があります。
傾斜地に広がる住宅街。広島市の中心部から北に10キロ余り離れた安佐北区の新建団地です。団地では2014年8月20日に起きた土砂災害で、3人が亡くなりました。
(住民)「2軒となりの家が土砂に流され、消防士と子どもが巻き込まれた」「山が鳴る。ズズズズーと。1回聴いたら、一生忘れられない」
山からの土石流で被災したある民家を訪ねました。
藤原正枝さんです。9年前の災害時、夫と、92歳の寝たきりの母親と3人で自宅にいました。
(藤原正枝さん)「土砂が入って、窓は割れて、家具はひっくり返って」「おばあちゃん(母親)がベッドに。主人がおんぶして私が後ろで押して、2階にあげた」「これ、土砂の痕」
藤原さん家族にけがはなかったものの、自宅の1階は大量の土砂に覆われました。
(藤原正枝さん)「一生懸命でほかのことは考えてなかった。忘れられない」
8月20日の未明。新建団地の周辺は、発達した雨雲が次々と同じ場所にかかり続ける「線状降水帯」が発生し、雨量は3時間で300ミリ近くに達しました。
土石流やがけ崩れが相次ぎ、街の姿は一変。山から団地に土砂が流れ込んだ様子がいくつも確認できます。
およそ200世帯ある住宅の4割が全壊や浸水などの被害を受けました。
自治会の自主防災会長を務める梅野照幸さんです。
(自主防災会長 梅野照幸さん)「一番目につくところでいいんじゃないかということで、あそこに記念碑を作った」
団地の公園には、災害の記念碑が作られていました。
(自主防災会長 梅野照幸さん)「災害で命を落とすことがないよう、早めの避難、気をつけるために。何も残さないと、年月とともに風化する」
9年前の災害をきっかけに、国や広島県は、山から流れ出す土砂や水をせき止める堰堤の整備を進めています。梅野さんら新建団地の自治会も、これまでの防災対応を見直しました。
そのひとつが、システムエンジニアの住民と協力して作った安否確認システムです。自治体から避難情報が出された時、スマートフォンやパソコンで専用のページを開けば、住民の安否などを全て把握できます。
(開発した 森次茂広さん)「助けてほしい人は赤で表示され、青の表示は助けに行ける人。こうした人たちがマッチングされていく」「電話の緊急連絡網を作ったが、どこかで途切れて連絡がいかず、土砂災害の時に役に立たなかった」
さらに、より早い避難のため独自に雨量計を設置し、雨量に応じて自動でメールで避難を呼びかけるシステムを導入。避難訓練のあり方も見直し、広島市からの呼びかけだけに頼らない、自主的な避難を目指しています。
(自主防災会長 梅野照幸さん)「訓練のための訓練しかなかった。自分の命は自分で守ることが大事。それを言わないと、なかなか皆さん動かない」
自分の命は自分で守る。この考え方の背景にあるのが、地域の助け合いの“限界”です。9年前の災害で、自宅が土砂に巻き込まれた藤原正枝さんも…。
(藤原正枝さん)「人を助けないといけない、というが、そんな暇はない。災害起きてからは、人のことを見ている暇はない。だから早めの避難が必要」
一方で、年月が経つとともに、住民の意識にずれも出始めています。
(住民)「正直なところ、避難は勇気がいる。このくらいだったら大丈夫、砂防ダムがあるから、という安心感があって」
自主防災会長の梅野さんは、災害から命を守る行動を起こすためには、住民一人ひとりの覚悟が必要だと考えています。
(自主防災会長 梅野照幸さん)「『災害があるのは当たり前、山の団地に引っ越してきたんだから仕方がない』と、等しく言います。『だから覚悟して』と」「何でも100%はない。何が起こるか分からない、と考えたほうがいい」