今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介していきます。
薩摩の武士の家では、男の子が生まれると、鶴丸城に入り、お殿様と初対面。
この時から男の子は、島津藩に忠誠を尽くすことになる・・・というお話を先週しました。
愛おしい我が子を藩に差し出す。
そんな理不尽な習わしを武士の母は止むを得ないものとして、受け入れていました。
なぜなら母親も武家の出身だったからです。
「男尊女卑」の国と言われてきた薩摩。
その薩摩で武士の家庭に生を受けた女性は、どんな存在だったのでしょう?
「女の子を産んだら床の下に寝かせよ」と言う言葉が伝わるぐらい、男子と女子では扱いに差がありました。
生後1ヶ月で殿様にお目通りした男子に比べ、女子にもし、そんな機会があるとすれば、それは世帯を持った時だけ。
それも叶わなかった場合は、生涯、藩主の顔を知らないままでした。
二才が世帯を構えた時、二才は、新妻と双方の親の計4名で登城します。
すると藩主・・・
「女子は、幼くして父母に仕え、長じては夫に従い、老いては子に養わるる習わしである。
穏やかな心で、貞操を守ることが慣用である。
男の子をば生まば、幼い頃より武士の道の要義、大切なことを教育しなければならぬ」
と諭したと言われています。
では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日ごわんそ!