今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。
郷中の組織は、年齢別に「稚児」、「二才」、「長老」に分けられます。
かつて郷中で暮らしていた稚児たちの遊びには、『猪狩・軍の真似・大将取り・降参言わせ』などがありましたが、その中の「馬追い」が現代にどんな形でつながっているか・・・ということを紹介してまいりました。
今朝は、馬に関係する「馬頭観音祭り」についてお伝えしてまいります。
「馬頭観音」とは、ご承知の通り、馬の頭を持つ観音様のことで、馬の守り神、または死んだ馬の冥福を祈る為に建立されたと言われています。
鹿児島県内には、数え切れないほど存在し、それぐらい薩摩と馬頭観音の縁の深さが偲ばれます。
鹿屋市輝北町で催されていた「馬頭観音の供養築」をご紹介しましょう。
供養築は、集落のやや小高い丘の上で催されます。
『1メートルほどの土を盛り、周りを竹の棒で囲み、さらに芝を張り、最後に小さな松を植えます。この松を供養松と呼びます。』
いたって簡便・質素な行事ですが、4月から5月にかけて、馬の無病息災を祈って、昭和のはじめ頃まで県内各地で催されていたといいます。
それだけ薩摩藩は、数多くの牧で馬を放牧していたのです。
そんな点から薩摩は、名馬の特産地と言われていたのでしょうね。
では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日ごわんそ!