今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介していきます。
以前もお話しましたが、郷中教育と一言でお伝えしても、その下には「方限」という組織が存在していたのです。「方限」とは、「郷中の中の小さな区域」のことです。
例えば鶴丸城下と言っても、多くの方限があり、上方限と下方限とに分けられていました。
これらを分ける、線引きはどこにあったのか、ご存知でしょうか?
それは、薩摩藩主の居城、すなわち鶴丸城を中心にして、東と西に分かれていました。よって、東側を上方限、西側を下方限と呼びました。
東と西と言っても、見ただけでは分かりませんが、その線引きは、鶴丸城前のお堀が境となり、分かりやすかったようです。
上下両方限は、更に次のように多くの方限に分かれていました。
例えば、上方限に属した組織は
「岩﨑・冷水・清水馬場・後迫・城ヶ谷・実方・上ノ原・屯田・韃靼堂」など15ヵ所が、
そして下方限に属した組織は、
「上ノ平・下ノ平・新照院・草牟田・高見馬場・上加治屋町・下加治屋町・桶之口・上之園・高麗町」など18ヵ所ほどがありました。
この続きは、また明日。
では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日ごわんそ!