• 幕末維新ニュース
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慶応4年1月18日 慶喜 朝廷と関係修復急ぐ

きょうは慶応4(1868)年1月18日です。朝廷から追討令が出された前将軍・徳川慶喜は、松平春嶽へ書状を送り、朝廷との関係修復を依頼しました。

元日に「討薩の表」を出し、薩摩を討つと宣言した慶喜でしたが、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は敗北しました。さらに、天皇の軍の証・錦の御旗を掲げた新政府軍と戦ったことで、旧幕府は「賊軍」とされました。
朝廷は慶喜の追討令を出し、出兵を決めています。

江戸に逃げた慶喜は、朝廷との関係修復に懸命です。大奥では14代将軍・家茂夫人の和宮と、13代将軍・家定夫人の天璋院篤姫に会い、慶喜赦免の嘆願書を書くよう依頼しました。
和宮は天皇の叔母、篤姫は薩摩藩出身です。

また、新政府幹部の松平春嶽にも朝廷との関係修復を依頼する手紙を送りました。懸命の嘆願を続ける背景には、朝敵として討たれるのを避け、徳川家存続を図る狙いがあるとみられます。