慶応4年明治元年9月14日 会津若松・鶴ケ城 総攻撃
新政府軍は、3週間に渡り抵抗を続けている会津鶴ヶ城に対し、総攻撃を開始しました。
薩摩の伊地知正治、桐野利秋、土佐の板垣退助らが指揮する新政府軍は、きょう午前6時、ついに鶴ヶ城へ総攻撃を開始しました。
7ヵ所の砲台から、50門の大砲が城内へ集中砲撃を実施。このうち、薩摩・肥前・大村・松代の藩兵は、強力なアームストロング砲で城に砲撃を加えました。鶴ヶ城の中は、砲弾の煙で夜のように暗く、砲撃の音で話もできないほどだったということです。会津側によりますと、天守閣は破壊され、城内のあちこちで火が上がり、数え切れないほどの死傷者が出ています。
12時間で撃ち込まれた弾は1200発以上だったということです。しかし、会津はこの攻撃に持ちこたえ、新政府軍のきょうの総攻撃はさきほど午後6時で終わりました。城からは時を知らせる鐘の音が響き、外で戦っていた将兵は、城が落ちていないことを知ったということです。子どもたちは城の上にたこを揚げて喜んでいます。しかし、新政府軍は次の攻撃の準備を進めていて、生き地獄のような戦が続くことになります。