なぜ沖縄より先に復帰? 奄美復帰70年 日米外交の米人専門家が分析「先人の熱意を未来へのエネルギーに」
奄美群島が戦後、日本に復帰して今月25日で70年です。日米外交の研究者で、奄美返還の経緯などについての本も出版したアメリカ人、ロバート・エルドリッヂさんに復帰運動の意義と奄美のこれからについて聞きました。
(エルドリッヂさん)「(復帰運動の)資料が残っているのが分かった。そこで1999年の夏ぐらいから奄美に通い始めた」
奄美市で今月17日に開かれた日本復帰70周年記念講演。「奄美復帰から未来を語る」をテーマに語ったのは、ロバート・エルドリッヂさん(55)です。
アメリカ生まれで、1990年に来日。日米外交や戦後沖縄史などを研究する中で奄美の復帰運動を知り、2003年に「奄美返還と日米関係」を出版しました。
(エルドリッヂさん)「奄美の復帰運動が確実に日本を動かし、日本政府が対米交渉を行う時の非常に重要な要因になった」
奄美群島は戦後およそ8年間アメリカ軍政下におかれ、人や物の移動が制限されました。そして、当時の14歳以上の99.8%の署名や、復帰運動の指導者泉芳朗の断食などにより、1953年12月25日に日本に復帰します。
(エルドリッヂさん)「住民が粘り強く継続的に希望を訴えたことが日本政府だけでなくアメリカ政府を動かした」
奄美の日本復帰は1953年。その後、1968年に小笠原諸島、1972年に沖縄が復帰しました。
2009年から6年間、沖縄のアメリカ海兵隊太平洋基地政務外交部次長を務めたエルドリッヂさん。アメリカの機密文書などの研究から「沖縄や小笠原より先に奄美が返還されたのは、統治を続けるほど軍事的な価値がなかったから」と分析しています。
(エルドリッヂさん)「(アメリカ軍の)重要な軍事施設がなかったから返還すべきということになったが、まったく地政学的に重要性がなかったわけではない。むしろ重要性は過去にもあったし今もある」
海洋進出を強める中国を念頭に、奄美群島を含む鹿児島から沖縄にかけての南西諸島は今、「防衛の最前線」とも呼ばれています。
奄美大島では、2019年に奄美市と瀬戸内町に陸上自衛隊のミサイル部隊と警備部隊が発足。瀬戸内町では、自衛隊の補給や輸送の拠点となる港湾施設をつくる計画が進みます。
奄美群島では、離島防衛を想定した日米の共同訓練が相次いでいます。
いっぽう復帰から70年。当時22万人だった奄美群島の人口は半減し、現在10万3000人です。人口減少や地域活性化は離島にとどまらず地方が直面する課題ですが、エルドリッヂさんは「復帰運動を振り返ることで次の時代を生きるエネルギーにしてほしい」と訴えます。
(エルドリッヂさん)「(奄美には)素晴らしい歴史がある特に復帰運動が成功した。もう一度、復帰運動の熱意を結集して様々な問題を乗り越えること。自信を持ってくださいと伝えたい」