大型店と商店街

平成に入って、再開発などにともない大型の商業施設が目立つようになりました。大型店の進出は鹿児島の商業地図を大きく変えましたが、一方で、地域の商店街にとっては脅威ともなりました。
今週は、鹿児島市を例に大型店と商店街から平成について考えます。


ボーナスサンデーにわく鹿児島市の繁華街、天文館。
天文館は長く鹿児島の商業の中心地としてにぎわってきましたが、平成に入って大きな変化が生じました。

天文館以外の地区で大型店の出店が相次ぐようになったのです。
経済の専門家は、転機は九州新幹線が部分開業した平成16年だったと振り返ります。

(シンクタンク・バードウイング 鳥丸聡代表)「昭和50年にダイエー鴨池店が出店してきて、その後29年間本格的な流通戦争はなかった。九州新幹線が部分開業してその半年後にアミュプラザ鹿児島ができた。この時が本格的な鹿児島の流通戦争が始まった時と言える」

大型店の出店は特に、遊休地の多かった鹿児島市南部で相次ぎました。

その一つが平成19年にオープンした「オプシアミスミ」です。
県外資本の大型商業施設が多い中、「オプシアミスミ」は鹿児島市に本社を置くミスミが手がけました。

(オプシアミスミ 愛甲健副支配人)「なんとここ10年は順調に推移している。まだまだこちらは遊休地があるので県内に出店していない全国チェーンもあるので出店はつづくのではないか」


平成に入って大型店が増えた背景には、平成12年に施行された大規模小売店舗立地法、いわゆる大店立地法があります。
それまで中小の小売業を保護するために大型店の出店を規制してきた「大店法」が撤廃され、法律の対象となる大型店の面積も500平方メートルから1000平方メートルに拡大されました。

(シンクタンク・バードウイング 鳥丸聡代表)「大店立地法ができて、どちらかというと大型店の出店を規制緩和していく。それと都市計画法、中心市街地活性化法がある。全体的に規制緩和されて大型店が出店しやすくなってきていた」

大店立地法の施行以降、県に届け出られた大型店の計画は182件。大型店は幹線道路沿いや郊外に多く、かつては天文館一極集中だった商業地図を大きく変えました。


一方、周辺の商店街は新たな競争相手の出現に揺れました。

(宇宿商店街振興組合 河井達志理事長)「昔の昭和50年代の商店街の中心はここ。交差点の4つ角に店が張り付き、市場が多いときで5つもあった」

鹿児島市南部の宇宿商店街です。宇宿地区では昭和49年に近くに大学病院が移転して以降、人口が増え、商店街はにぎわいました。
しかし、数キロほどの位置に大型店の進出が相次ぎ、ピーク時に200ほどあった店舗は今では半分以下に減りました。

(河井達志理事長)「一言で言うと平成は、量販店の黒船がたくさん鹿児島に押し寄せた。宇宿の近辺に押し寄せた」

宇宿商店街で45年にわたってブティックを経営する戸田義恵さん(80)も、大型店の影響は大きかったと話します。

(ブティックトダ・戸田義恵さん)「(大型店の出店までは)よく売れていた。いいものが売れていた格安の洋服が出回ってきたときは本当に大変困った。今でもいいものを求めてくる一握りのお客様を大事にして商いをやっている」


商店街では地元だけでなくエリア外からも新たな客を取り組もうと、大型店の進出以降、様々なイベントを仕掛けてきました。

イオンの進出した平成19年には、こんな実験も…。

現在、商店街のイベント運営の中核を担っているのが、7年前に若手経営者たちが発足させた青年部です。
「今年は、子どものための祭りにしようかと思って」

その発足時から部長を務める濵島良将さん(40)です。濵島さんは高校卒業後、東京で働きましたが、体調を崩した父から家業を引き継ぐため、平成14年、24歳のときに宇宿に戻ってきました。
昼はガスの交換、そして夜はカラオケ店と、父から引き継いだ2つの仕事をがんばっています。

大型店は、商店街にとって脅威である一方、地域全体とってはメリットもあったと考えています。

(宇宿商店街振興組合青年部 濵島良将さん)「宇宿の住民として考えれば生活が便利になった。それによって住む人が増えてきているので、宇宿ってすごくいいよね、と、昔は宇宿はどこにあるぐらいの感じだったが誰もがわかるようになった」

大型店の効果で増えた人たちをうまく呼び込むことで、共存を図っていきたいと濵島さんは考えています。
(濵島良将さん)「青年部をはじめた理由が地域の方ともっと触れ合って昔ながらの商店街にしていきたい。小学生が歩いていると『おじちゃん、オー何々君』みたいな感じの、昔ながらの商店街にしていきたいというのが目標であって夢です」

平成の時代、大型店の増加に揺れた商店街。
大型店が当たり前となった次の時代に即した新たなあり方を探しています。