歴史を教訓に 肝属水害
平成最悪の死者・行方不明者230人余りが出た西日本豪雨。被災地では過去に今回を上回る災害が繰り返されていたにもかかわらず、その歴史が伝承されていなかった地域があります。
そして、鹿児島でもかつて西日本豪雨全体を上回る犠牲者が出た記録的な豪雨災害が起きていましたが、あまり知られていません。
それが80年前、大隅半島で起きた肝属水害です。大久保記者の報告です。
今年7月の西日本豪雨で、高さ5メートルを越える浸水に見舞われ、51人が死亡した岡山県倉敷市真備町です。
堤防が両側とも決壊した住宅地。その堤防沿いに石碑が残されています。
138年前の1880年の洪水でなくなった住民33人を悼むものです。
近くに住んでいた70歳の女性は、今回被害を受けるまで、この碑のいわれを知りませんでした。
「全然知らなかったですね。人間は愚かやね。自分の身にふりかからないと感じないでしょ?」
真備ではそれを超える被害を伝える石碑も残されていました。
1893年の洪水で亡くなった200人あまりを供養する塔です。このとき岡山県全体では423人が死亡しました。
「明治時代のことは初めて聞いた」
「(西日本豪雨のあとに知って)明治時代の碑を見に行ったんですけど、やっぱりそういうことを伝えていくことが大切なことだとは思いますね」
教訓となりえたにもかかわらず、忘れられた災害の記憶。
一方、鹿児島でもかつて、西日本豪雨の230人余りをも上回る犠牲者が出た豪雨災害がありました。
大隅半島の肝属川。80年前にこの地を襲った肝属水害です。
1938年(昭和13年)10月14日、台風の接近で大隅半島の南部では翌日にかけ24時間雨量が400ミリを超えました。
この大雨で肝属川水系の堤防10か所が決壊。記録的な洪水となったほか各地で土砂災害が起きました。死者・行方不明者は435人。県内で記録に残る最悪の豪雨災害です。
未曾有の豪雨災害を体験した住民がいます。
肝付町の海ケ倉喜通さん(84)です。当時4歳。自宅が腰まで水につかり避難する中、上流から流されてくる家や人を見たのを覚えています。
(海ケ倉喜通さん)「ここはもう濁流ですよ。助けようがないんですよ、今みたいにボートなどもないし、流されるまま。」
救出されたひとりの母親を海ケ倉さんは鮮明に覚えています。
母親が抱いていた赤ちゃんは流され、のちに遺体で見つかったといいます。
「髪の毛がこんなにゴミが入って、抱いていた赤ちゃんも手放してしまって、そして本人だけが助かった。
ああいう大災害はまたいつかあるのではないかということは、若い人たちに知ってもらいたいとは思っています」
鹿屋市吾平町。
当時親戚の家にいた海老原寛業さん(84)です。家は3メートル近く浸水し、一晩天井裏で過ごしました。
「バケツをばーっとひっくり返したような、それ以上の雨だったんですね。湖。全部水浸し」
辛くも助かった海老原さん。近くの救難本部には多くの遺体が並びました。
「神社の救難本部に遺体が集められたのを見た。むしろの上に(遺体が)寝かされてこもがかぶせられて(西日本豪雨の)真備町ですか。ああいった状況だったんじゃないかなと思います。自然はすごいね」
洪水と土砂崩れの複合災害となった肝属水害。土砂崩れは山間部の小学校でも起きました。錦江町の田代小学校です。
裏山が崩れ木造の校舎が破壊され、教職員2人が死亡しました。
(田代小学校 長吉昭典校長)「地域の人に聞くと、大体このあたりだと聞いています。ちょうど石垣の付近です。こういった災害があったということは子どもたちや地域の人々に伝えていかないといけないのかなと思っております」
水害のあと、地域では大きく蛇行していた川を直線化し、堤防をつくるなど河川改修を進めてきました。現在、大隅河川国道事務所では80年前と同じ規模の豪雨となっても氾濫にはいたらないとしています。
しかし、今年9月末の台風24号では肝属川の支流が一時氾濫危険水位を上回りました。想定を超える事態はありうる、担当者は警鐘を鳴らします。
(大隅河川国道事務所 調査第一課 山村昭一郎課長)「この肝属川においても、もしということは必ずありえるというふうなところで、じゃあそうなった時に自分はどうしたらいいんだという所を考えていただけたらというふうに思っておりまして、そういう行動をとってもらえるように取り組んでいきたい」
肝属水害でもっとも犠牲者が多かった肝付町高山地区。
平成になって作られた被害を伝える石碑があります。
(鹿児島大学 岩松暉名誉教授)「山が崩れて土石流となって下流に押し寄せて増水して氾濫した」
鹿児島大学の岩松暉名誉教授。
住民が地域の歴史や地形の特徴を知ることが重要と語ります。
(岩松暉名誉教授)「岡山・真備町ではハザードマップに(浸水想定区域と)示されている所で、(51人の死者のうち)ご自宅で9割の方が亡くなっている。やっぱり自分が住んでいるところの地域の成り立ちなどを知ってていただきたかったなぁと思います。気象をはじめいろんな科学的なデータがあるのはたかだか150年なわけですから、もう少し長い期間で考えれば、災害はいつ起きてもおかしくないんだということは考えておく必要があると思います」