ふるさと・奄美大島を拠点に活動する歌手中孝介さんです。
奄美市出身の中孝介さん。10代の頃から奄美の民謡・島唄の歌い手として知られ、2006年に26歳でメジャーデビュー。独特な歌唱法と個性的な歌声は、「地上で最も優しい歌声」と評されます。
国内はもとより台湾や香港、韓国など海外でも活躍していますが今も、ふるさと・奄美大島を拠点にしています。
(中孝介さん)「人と人が近く、自然と人が近い。あまりに近すぎてうっとうしいときにあるんだけれど、大好きだけど大嫌いみたいな、色んな好きが詰まっている。」
中さんが歌い始めるきっかけは高校1年生のときに出会った奄美の民謡「島唄」でした。
(中孝介さん)「クラシックピアノをやっていたんだけど、高校1年生のときに文化センターで、当時高校3年生だった元ちさとさんの島唄を聞く。そこにまさに「なつかしゃー」という、どうしようもなく懐かしい気持ちになって、色々なことが思い出された。島唄の力ってすごいんだなと感じた」
独学で島唄をはじめた翌年、奄美民謡大賞で努力賞を受賞し才能を開花させました。
(中孝介さん)「島唄には、歌詞の中に昔ながらの生活が詰まっている。僕らは方言をしゃべらない世代だが、方言も、その当時の生活も唄から教えてもらっている。」
(Q一番好きな島唄は)
(中孝介さん)「糸繰節ですかね~この糸繰節は、伝統の大島紬の機織をしながら歌う仕事唄でもあるが、人と人とは一度縁が切れてしまうと簡単にはもどれない。当たり前のことを歌っているようでとても深い。短い中で大切なことを教えてくれる島唄が、令和という時代にも歌われていることがすばらしい」
奄美で昔から歌い継がれてきた島唄は恋や別れ、家族を思う気持ちを歌ったものから大島紬やサトウキビづくりを歌った労働歌など多様です。そこには教訓や先人の知恵がちりばめられていて、人生で必要なことの半分は、唄で学べるとまで言われます。
(中孝介さん)「奄美には「唄半学」という言葉があって、唄を唄うことで半分の学問はできていると言われる。唄で自分たちの思いを伝えていた、まさに唄の島だなと思います。奄美は。」
(中孝介さん)「(唄から学んだことは)等身大であること。素のままでいること、できること以上にやろうと思うな、自分に対しても人に対しても。ということを教えてもらっている」
世界で活躍する中さんですが、ステージでは奄美の風景を思い浮かべます。
(中孝介さん)「海の景色や製糖工場の香り、機織の音を聞きながら昼寝をするのが大好きだったがそういう景色を思いながら唄う。ふるさとを思う。懐かしく思う気持ちや人に愛着を持つそういう気持ちが真髄だと思う。島唄を歌うときも、オリジナルを歌うときも大事にしていきたい」
「奄美の方言に「なつかしゃー」という言葉がある。人やふるさとに愛着がわく、そんな感情を伝えたい」