#4 仙巌園日和(前編)

南国鹿児島も夏本番、暑い日々が続いていますね。

さて今回、私たちは鹿児島市吉野町にある、薩摩藩島津家別邸名勝「仙巌園」を訪れました。

西:「仙巌園は、学生の頃に訪れて以来。夏季限定で、園内には朝顔や風鈴が展示されていると聞き、少しでも夏を楽しもうと浴衣を着てみました!」

中:「日本庭園とお屋敷の和の雰囲気に合いますね。実は御殿の中に入るのは、今回が初めて。お殿様が暮らした御殿を見学し、島津家と薩摩藩が歩んできた歴史を学びたいと思います。」

今回、私たちと同じキャビンアテンダントで、鹿児島に移住し島津興業で兼業しながら、ふるさとの魅力を伝えている岩田裕未(いわたゆみ)さんに案内していただきました。

西、中:「岩田さんに案内していただけるのが楽しみです!よろしくお願いします。」

 【写真中央】:岩田裕未さん

✈浴衣は鹿児島市城山町にある「きもの数奇 美々」にてレンタル・着付けていただきました。店主さんがとても優しく丁寧に対応してくださり、晴れやかな気持ちで始まった仙巌園日和。行ってきます!!


\さっそく門をくぐると、正面には初めて見る建物が!/

鹿児島世界文化遺産 オリエンテーションセンター

こちらは鹿児島世界文化遺産 オリエンテーションセンター。

令和元年(2019年)11月に新たに誕生し、薩摩の近代化のストーリーを分かりやすく学ぶことができます。

嘉永4年(1851年)に薩摩藩主となった島津斉彬は、日本をヨーロッパ諸国のように強く豊かな国にする必要があると考えました。

海外からの敵に対抗しうる武具や大砲、軍船をつくる技術を研究するために、製鉄・造船・紡績・ガラス・化学など様々な事業を起こしました。

それが『集成館事業』です。

集成館事業が行われた跡地一帯だけでなく、培われた技術も併せて日本の初期の近代化に大きく貢献したことが世界史や産業史の上で高く評価され、2015年に世界文化遺産に登録されました。

岩:「こちらは反射炉といって、鉄を溶かして大砲などを造るために使われていた施設です。

石炭や木炭などの燃料を燃やし、その炎や熱を壁に反射させて鉄を溶かす仕組みになっています。その時に熱で炉本体が溶けてしまわないように、建物には高温に耐えうる耐火レンガが必要でした。しかし当時、日本ではレンガは作られていませんでした。そこで斉彬は、同じように土から作る薩摩焼の陶工たちに、耐火レンガを作らせたのです。」

反射炉の模型

西:「伝統工芸品として親しんでいる薩摩焼と反射炉に、そのような関係があったとは
知りませんでした。斉彬は”無いものは作ってしまおう”という姿勢で、日本の近代化を牽引したのですね。」

仙巌園の入口付近には反射炉の基礎部分が遺されています。

中:「雄大な桜島と錦江湾を臨むこの地で、当時の薩摩藩は日本の近代化に大きく貢献したんですね。」

続いては、『御殿』の中に入らせていただきます。

仙巌園は万治元年(1658年)に島津家19代光久によって島津家の別邸として築かれました。「御殿」は29代忠義が実際に本邸として使用し、鹿児島を舞台にした大河ドラマ「西郷どん」のロケ地としても使われました。

邸内には、まるで幕末の頃にタイムスリップしたような格式高い空間が広がっています。また、当時の島津公の暮らしぶりや薩摩藩と島津家の歴史、御殿を訪れた偉人との関わりについて紹介されています。

こちらはロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世が即位した記念として、忠義が贈った薩摩焼茶壺の複製品です。

十二代沈壽官が手掛けたこの作品をニコライ2世はとても喜び、サンクトペテルブルクの宮殿(現エミルタージュ美術館)の玄関に飾ったそうです。

岩:「華やかさを好む西洋人に合わせて、豪華な花柄と、ニコライのロシア語表記のイニシャル『N』があしらわれています。」

中:「薩摩焼らしい落ち着いていて上品な雰囲気の中に真新しさがあり、不思議な魅力を感じます。」

岩田さんの説明がとても分かりやすく、御殿を進みながら当時の外交や歴史的背景を一層深く学ぶことができます。

西:「岩田さん、この飾りのような物は何でしょうか?コウモリのような形をしているようにも見えますが…」

岩:「これは『釘隠し』といって、日本建築にみられる伝統的な装飾品です。御殿の中には11種類もの釘隠しがあるんですよ。当時、島津家は中国とも交流があり、中国で縁起物とされているコウモリを模したそうです。コウモリは漢字で書くと『蝙蝠』で、『蝠』の文字が『福』に似ているため縁起が良いと言われているそうです。」

中:「建物の細部にわたって幕末の時代背景が映し出されているんですね。勉強になります。」

西:「こちらの部屋は、特に広くて華やかな造りになっていますね!内装には和洋どちらのものも取り入れられており、繊細で豪華なしつらえで特別な空間のように感じます。手前のテーブルには薩摩切子もありますね。」

岩:「こちらは『謁見の間』と言って、お殿様が賓客とお会いになる際に用いられた応接用の部屋です。部屋の奥に目を向けると床の間や違い棚があり、典型的な書院造となっています。西洋の方をお迎えする際には、洋食でおもてなしをすることもありました。テーブルの上の薩摩切子も、お部屋の雰囲気によく合っています。」

謁見の間を進んでいくと、『御居間』があります。

島津家29代忠義が執務をしたり、庭園を眺めながら寛いだりした部屋だそうです。

中:「部屋から見える桜島と錦江湾、庭園は本当に見事ですね!雄大な桜島や錦江湾が望めるところが仙巌園ならではですね。抜けていく風が爽やかで、とても気持ちいいです。」

御居間から一望できる景色

庭の端にある大きな灯篭は、鶴が羽を伸ばしたような姿に見えます。また正面に見える松のすぐ隣にある石は、この御居間から見たときに亀に見えるよう造られたそうです。

「鶴」と「亀」はどちらも長寿の象徴で縁起物とされており、庭園全体も風水を取り入れた構成で良い気が流れているとされています。

西:「そのような背景を教えていただいて、仙巌園の御殿や庭園は四季折々の情景が美しいだけでなく、各所に様々な工夫が凝らされていることが分かりとても勉強になりました。
仙巌園全体が清らかな良い気に包まれているんですね。」

中:「こちらの部屋は天井の造りが他の部屋とは違うように感じます。」

岩:「さすが中山さん!よくお気付きですね。この部屋は『化粧の間』と言って島津家29代忠義が着替えや髪を結ったりするために使われた部屋です。当時では珍しく忠義は身長がとても高く、天井板を矢羽根状にして立体感や奥行きを出すことで、部屋を広く見せる工夫がなされたそうです。」

西:「西郷隆盛もとても身長が高いことで知られていますよね!当時の薩摩の偉人には身長の高い方が多かったんですね。」

中:「今回御殿に初めて入り、実際に案内していただきながら島津公の暮らしぶりや歴史に触れられて鹿児島が歩んできた歴史をもっと深く学びたくなりました。」

西:「私も御殿に入ったことはありましたが、今回初めて学んだことが沢山あり、まだまだ知らないことが多いと感じました。」


西、中:「岩田さん、丁寧にご案内してくださりありがとうございました。」

さて、歴史を学んだあとは、仙巌園ならではの薩摩の伝統文化を楽しむ体験に行ってまいりました!

次回はその様子をレポートします。お楽しみに!!

\✈第2弾へつづく/

御殿に抜ける風も心地良く、中庭はずっと眺めていたくなる景色でした。

この時季ならではの、夏らしい風鈴の音に癒されます。

✈お読みいただきありがとうございました✈✈

関連記事一覧