西郷南洲遺訓に続き、今週は、西郷さん自身が詠んだ漢詩を取り上げていますが、昨日は2度目の島流しとなった沖永良部での、生死をさまようような状況で詠まれた「獄中有感」をご紹介しました。
今日はその過酷な環境から西郷を救った恩人ともいうべき、土持政照に向けて詠んだ漢詩「政照子に留別す」をお聞きください。
別離如夢又如雲 別離夢の如く 又雲の如し、
欲去還来涙呟玄云 去らんと欲し 還来って涙玄云
獄裡仁恩謝無語 獄裡の仁恩 謝するに語無く
遠凌波浪痩思君 遠く波浪を凌いで 痩せて君を思わん
意味は…
君と別れねばならぬ事になったが、思えば夢のようでもあり、又雲が流れるようでもあり
立ち去ろうとしては又立ちかえって来て、別離を悲しむ涙がとめど無く流れる。
顧みれば、長い牢獄生活中の君のなさけ深い恩義には、何とお礼を言ってよいやら適切な言葉がない。
今遠い浪路を乗り越えて鹿児島に帰って行ったら、夜も昼も君を思い慕って、ただただ痩せていく事であろう。
西郷さんが生涯で作った200首以上の漢詩のうち、20首ほどは沖永良部島で作られたといいます。
そのうち、元治元年(1864年)2月、西郷が許されて鹿児島に帰ることになった時に詠まれたのがこの詩です。吹きさらし雨ざらしの牢に入れられ、日に日に衰える西郷を心配し助けたのは、島の役人・土持政照でした。政照は、自費で牢を改築、さらに母ツルと共に、西郷を真心こめて介抱したそうです。
健康を回復した西郷は深く感謝し、政照と義兄弟の契りを結び、その心の交流は終生続いたといいます。そのことを物語るのがこの漢詩で、沖永良部にある西郷南洲翁謫居の地に建てられた土持政照の胸像の碑にも刻まれています。
1年半の沖永良部での生活は、西郷にとって本当に過酷なものであったと同時に、その後の活躍の原動力となる思想を身につけ、大切な人々と出会う時間でもあったのですね。。。