今日は、「西郷南洲遺訓」の第36条「書物の上だけの知識ではなんの役にも立たない」という教えの前半をご紹介します。
歴史を学ぶことは大切だが、昔の人が行った歴史を
ただ書物の上の知識として得るだけでは意味がない。
聖人賢者になろうというような高い志もなく、
最初から「自分にはとても真似できない」というくらいの気持ちであるならば、
それは、戦いに臨んでおきながら、火蓋が切られる直前に逃げ出す「敵前逃亡」より
卑怯なことである。
朱子は、「抜いた刀を見て逃げ出すような者はどうしようもない。
真剣勝負の出来ぬ卑怯者である」…と言われたが、それと同じである。
誠意を持って聖人賢者の書を読み、
その一生をかけて行われたことの真髄を自分自身の手本とし、
身をもって体験するような修行もせずに、ただ「こんな言葉を残された」とか、
「このようなことがあった」ということを、知識として知っているばかりでは、
何の役にも立たない。
西郷南洲遺訓、明日はこの続き(36条の後半)をお送りします。