薩摩の教え

遺訓の持つ意義、西郷の心境~加来耕三さんのお話③

明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今週から、西郷さんが残した教え、「西郷南洲遺訓」にはいりました。

今週1週間は導入篇…ということで、歴史家の加来耕三さんに、お話を伺っています。

 

南洲翁遺訓は、庄内の人たちが二人一組でブロックごとに担当を決めて広めて回った。
南洲翁遺訓がベストセラーになったのは、庄内藩の人々が、配って回ったから。(西郷さん、こんないいこと言ってますよ…と)

西南戦争で共に官軍と戦って戦死した庄内藩の兄弟もいる。そのぐらい庄内は、薩摩に対する愛情、感謝の念を持っている。西郷さんはそれに応えた。
だから、南洲翁遺訓は、西郷が寛容な精神を発揮して、相手方を許していなかったら、この世に残ってはいないもの。
歴史を研究するものにとっても、西郷がどんな人間かを知るために不可欠なもの。

たとえば、「敬天愛人」
「天」とは斉彬のこと。(斉彬はどんな人だったか?と聞かれ、西郷は「お天道様のような人でした」といって涙を流したという)
また、「愛人」についても、普通なら「愛民」となるところを「人」としているのは、キリスト教に近い感覚なのではないか?最後は、信仰に近い領域まで達していたのではないか。。。

そこまで辿り着いたのが西郷。やはり人間、死にかけてみないと(九死に一生のあの場面がないと)、西郷さんは完成しなかったのでは。。。

 

明日もどうぞお聞きください。

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