いろは歌

いろは歌「わ」(13番目の歌)

今日は、いろは歌の13番目の「わ」の歌をご紹介します。

私を捨てて 君にしむかわねば うらみも起り 述懐じゅっかいもあり

まず、言葉の説明から…

  • 「私を捨てて」の「私」とは、自分の心だとか、私利・私欲のことです。
  • 最後の「述懐じゅっかい」とは、不平不満を表しています。
私を捨てて 君にしむかわねば うらみも起り 述懐じゅっかいもあり

歌の意味です。

殿様や主君にお仕えするには、私の心を捨て、我が身を投げ出し奉公しなければいけない。
さもなければ、何事かが発生した場合、すぐに不平不満をもらしたくなるものだ。
従って私心ししんを捨てるべきである。― と、上に仕える際の心構えを説いているのです。
私心を捨てると言うのは、至難の技でしょうね。


(南さつま市)田布施の亀ヶ城かめがじょうにおられた忠良ただよし。つまり日新斉じっしんさいは、常珠寺じょうしゅじの住職・俊安しゅんあんのもとで禅宗の道を学びます。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、俊安は、桂庵禅師けいあんぜんじについて学んだお坊さんでした。
桂庵禅師けいあんぜんじは、正しくは、桂庵玄樹けいあんげんじゅ、山口県生まれで、室町時代の禅僧・薩南学派の祖とされており、戦国時代に島津家第11代当主・忠昌ただまさの招きで薩摩に入ります。文明12年(1480年)のことでした。
薩摩では、鶴丸城下・磯・田ノ浦たのうら島陰寺とういんじに入り、島津氏やその家臣かしんに朱子学を教えたとされる高僧=偉いお坊さんでした。
その弟子の俊安のもとで、日新斉は、仏の道、人の道を学ばれたのです。

いろは歌の「わ」の歌。

私を捨てて 君にしむかわねば うらみも起り 述懐じゅっかいもあり

この歌 あなたの明日のお役に立てれば幸いです。
それでは、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日めにっごわんそ!

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