昨日は、共研舎の自顕流研修会 副道場長、柚木盛吾さんの奏でる天吹の音色をお届けしました。
今日も引き続き、薩摩の武士が武術とともにたしなんでいた天吹についてお話しいたします。
天吹は現在、国内でも鹿児島以外には伝承されていない、薩摩オリジナルのものだと言われます。
その起源は分かっていないそうですが、島津家中興の祖と言われる島津忠良、のちの日新公は、武士や青少年の情操教育のため、薩摩琵琶とあわせて大いに奨励したと言われています。
楽器の原材料となるのは、鹿児島ではコサンダケの名で親しまれている布袋竹。楽器は、市販されているものではなく、良い竹を選んで切り出し、楽器を作るところからが修行の始まりです。
ですから、同じ楽器は二つとありません。演奏者は、いわば世界で一つの「マイ天吹」で、自分の音色を奏でるのです。「半農半士」と言われ、鍬や鎌を使って田畑に出ていた薩摩の郷士にも馴染みやすい楽器であったことでしょう。
天吹は、薩摩琵琶とともに郷中教育のなかで伝承されてきましたが、明治30年代になり、若者の学業の妨げになるとして禁止され、衰退の道を辿りました。
戦後の昭和30年代、復興への動きが起こり、試行錯誤の末に昭和56年、天吹同好会が結成され、平成2年には会の活動が県の無形文化財に指定されました。
それでは、明日も、薩摩の武士のたしなみであった天吹についてお伝えします。