【#16】種子島産婦人科医院 医師 鳥巣弘道さん
今週もお聞き頂きまして、ありがとうございました。
「日本を元気に!あなたの街のささえびと」レポーターの鶴園直子です。
このコーナーでは、「私たちの日常を支える人」すなわち“ささえびと”。
地元や地域、街を盛り上げ、元気にしようと頑張っている“ささえびと”をご紹介します。
今日は「地域の産科医療を支える人」ご紹介します。
今回のささえびとは、
種子島で唯一の産婦人科医院「種子島産婦人科医院」に今年4月に着任された、医師の鳥巣弘道さんです。
🤰せっかくですので、自己紹介をお願いします!
福岡県福岡市出身で、今年52歳になります!
こちらに来る前は、東京都世田谷区の産婦人科で、12年間勤務しました。
東京での12年間の勤務で、産婦人科医の基礎から応用まで幅広く学べ、
また、医療過疎地域に行ってもやれるのではないかという自信がつき、
今年4月に一家5人で種子島にやってきました。
🤰種子島に来てもうすぐ3か月・・・種子島の印象はいかがですか?
お店やスーパーなどで、4月から移住した産婦人科医だとわかると
(島の人はみなさん見慣れない人を見ると、どこから来てどこに住んでるのかしっかり聞いてきます)
みなさん自分の事のように「よくぞ島に来てくれました」とお礼を言われます。
とにかく他所から来た人を受け入れる力が強い印象です。
おかげさまで仕事も生活も早々に島に溶け込ませて頂いています。
🤰種子島にいらっしゃるきっかけは、どんなことだったんでしょうか?
東京には病院も医師もたくさんいます。
12年間医療をやる中で、ある程度一人前になったこともあり、
僕が働くべき地域が他にあるのではないかと考えるようになりました。
海外の日本人医師を必要としているところも含め、候補地を探しましたが、
以前から妻(鹿児島出身)の父から、
「種子島はいつも産婦人科医が足りない」と聞いていたことを妻が思い出し、提案されました。
種子島のいろいろなホームページを見ているうちに、ここで働いてみたいという気持ちが強くなりました。
🤰種子島のこれまでの産婦人科医療は、どのような状況だったのでしょうか?
2017年からおよそ5年間、現院長の前田先生一人体制が続いていました。
(鹿児島大学病院産婦人科医局の協力もあり、続けられましたが・・・)、
日々の診療や分娩に追われるため、マンパワーが足りず、
子宮頚癌ワクチンの普及、不妊治療、婦人科疾患、など幅広い診療には手が回らないといった状況が続きました。
🤰ちなみに、1年でどれくらいの数の出産に対応されるんですか?
2020年は年間153件の分娩数でした。
帝王切開22件 鹿児島市内へのヘリ搬送が3件でした。
新型コロナの影響で里帰り分娩を制限した影響もあり、また人口減少の影響もあり分娩数は減少傾向にあります。
その中でも、緊急の手術や母体搬送(鹿児島市内へのヘリ搬送)などが、日常の外来と重なることも度々ありました。
大変なストレス下での勤務だったと考えます。
🤰鳥巣先生のこれまでの経験を活かして、不妊症相談・不妊症外来もスタートしました!
今までは初歩的な不妊検査から鹿児島市内まで行かなければならなかったので、
お金と時間の負担がかなりあったと考えます。
「鹿児島市内まで通い続けることが辛かった」と外来で泣きながら打ち明けてくれる方もおられます。
予想以上に外来に相談に来て頂けるので、
島でも不妊の事を相談できずに悩んでいた方がたくさんいたのだなと実感しています。
🤰これから、どのように種子島の産科医療を支えていかれたいですか?
僕が赴任して、最初にスタッフに話した事は
「できない理由を探すのではなく、できる理由を探しましょう」という事でした。
離島であることを言い訳にせず、離島でも都会と変わらない、
安心で安全な妊娠・出産ができる環境を作ること。
また、子宮頸がんワクチンの普及の他、婦人科疾患、不妊治療、更年期障害などの相談も、
遠慮なくできる環境を作ることです。
とても心がぽかぽかするお話でした。
前田先生とこれからも、
種子島の女性と、赤ちゃんのために頑張って下さい!
貴重なお話、本当にありがとうございました。