慶応4年5月2日 長岡・河井継之助 和平探る
奥羽戦線のなか、中立を模索する新潟・長岡藩の河井継之助は、新政府北陸道軍の本陣を訪れました。
戊辰戦争が東北で本格化しています。新政府軍と奥羽諸藩は、すでに戦闘に突入しました。
新政府軍は反対勢力をたたくため、各地に軍を送っていますが、中立の立場を取る新潟の長岡藩にも進撃を開始し、小千谷を占領しました。
長岡藩の家老・河井継之助はその小千谷に向い、和平への最後の望みをかけ、新政府軍と会談を持ちました。
河井に応対したのは、土佐藩出身の岩村精一郎です。戦争を避けるために旧幕府軍などとの仲立ちをするとまで提案した河井に対し、新政府軍の岩村はまったく耳を貸さず、交渉は決裂しました。河井は42歳。対する岩村は23歳で、血気盛んな岩村は長岡藩を軽く見て、会見をわずか30分ほどで打ち切ってしまったとのことです。
和平を望んだ長岡藩の河井継之助ですが、一方でガトリング砲など強力な武器を大量に買い込み、西洋式の軍事訓練を重ね、戦闘態勢を整えていました。
その実力を事前に知ることがなかった新政府軍はこれまでにない過酷な戦いに巻き込まれる可能性があります。