経済・産業・暮らし

きょうは昭和から続いた平成の鹿児島の変化を当時の映像やデータで振り返ります。

戦後の混乱を乗り越えて高度経済成長を遂げた日本。
人々の暮らしは良くなりましたが、昭和48年の第一次オイルショックで高度成長は終わりを迎えました。


激しく揺れ動いた昭和の終わりから、平成へと移り変わる頃に到来したのが、空前の好景気、バブル景気です。

高級品が売れ、株や土地の価格は高騰。
平成3年、公示地価が県内で最も高かった鹿児島市天文館の土地は1平方メートルあたり625万円。
ことしの、104万円の6倍です。

しかし、バブル経済が崩壊。
株や土地の価格は一気に下落し、経営が悪化する企業が相次ぎました。

鹿児島でも80年続いた林田産業交通グループが経営破綻。
東京商工リサーチのまとめでは平成12年、県内の倒産件数は平成で最も多い246件にのぼりました。

「失われた20年」と呼ばれる長い低迷の時期に入った日本経済。
就職氷河期、雇い止めなど、雇用問題が深刻化します。
県内の有効求人倍率は平成21年度、0.37倍まで落ち込みました。


景気低迷の一方で、平成16年、九州新幹線が部分開業。
鹿児島の高速交通時代の幕が開けました。
7年後には博多までの全線開通にこぎつけました。

観光客も増加し、県内での延べ宿泊者数は去年、過去最多の806万8000人。

外国人の延べ宿泊者数は平成23年の9万3000人から去年は、71万5000人とわずか6年でおよそ8倍に急増しています。


鹿児島の基幹産業、農業は、高齢化と後継者不足が深刻です。
農家の数は、昭和60年に16万戸でしたが平成27年には6万4000戸にまで減少。
一方、農業産出額は、子牛価格の上昇などで平成25年からは増加に転じ、おととしは4736億円でした。


商業地図も大きく変わりました。
新幹線が部分開業した平成16年、鹿児島中央駅の駅ビル、アミュプラザ鹿児島がオープン。
平成19年には黒船にたとえられた、現在のイオンモール鹿児島もオープンするなど大型商業施設が相次いで登場しました。

老舗の山形屋は人気の恒例イベントやリニューアルを重ねるなどして対抗。
かつての丸屋は三越、マルヤガーデンズと姿を変え、現在に至ります。


平成23年に発生した東日本大震災。
内閣府は福島第一原発事故を除く被害額をおよそ16兆9000億円と推計しました。

震災の翌年、平成24年、自民党が民主党から政権を奪還。安倍総理が打ち出したのが経済政策・アベノミクスです。株価は上昇。
企業の収益も好転した一方、アベノミクスの効果は地方や中小企業には十分届かず格差が広がっているという指摘もあります。
また、国の借金は増え続け、ことし3月末時点で1087兆円以上。

国民1人あたり860万円の借金は将来の世代に重くのしかかるおそれがあります。


鹿児島市では今、複数の再開発が進み、街の姿は大きく変わろうとしています。
経済や暮らしの面でも様々な移り変わりがあった平成の30年。
そのあとに続く新しい時代の鹿児島の発展に向けて模索が続きます。