「薩摩と庄内」
先週の青たくは山形県出張のためお休みさせていただきました。山形県で取材した模様は9月19日(水)午後9時から放送予定です。
番組名は「薩摩と庄内を結ぶ 西郷の教え」です。どうぞご覧ください。今回の山口プロモーションでは、その番組でお話しする薩摩と庄内の結びつきについて少しご紹介します。今日の山口プロモーションを聴いて9月19日は番組を観てくださいね!
薩摩と庄内
1868年(明治元年)勃発した戊辰戦争では庄内藩は幕府軍 奥羽越列藩同盟として、薩摩藩は新政府軍として戦い、庄内藩は最後まで新政府軍に抵抗しました。さぁ、この敵対する薩摩藩と庄内藩にどのような交わりがあったのでしょうか・・・。
徳の交わり
徳の交わりと聞いて鹿児島中央駅近くの公園のとある像を思い浮かべる方もいらっしゃると思います(武屋敷跡)。旧庄内藩中老菅実秀(臥牛翁)は、戊辰戦争で最後まで抵抗した庄内藩に他藩に比べ寛大な処置を命じたのが西郷隆盛と知り、深い感銘を受けました。(どのくらい軽い処分だったのか、なぜ西郷さんは庄内藩への処分を軽くしたのかなどはぜひ放送をご覧ください)明治3年には旧庄内藩主酒井忠篤(さかいただずみ)と旧藩士およそ70名が鹿児島を訪れるなど明治8年にかけ旧庄内藩士たちは西郷の学びを得ました。こうした親交はのちに徳の交わりと呼ばれたのです。庄内藩から薩摩藩まで留学に来ていたんですね。
南洲翁遺訓
41条、追加の2条からなる西郷隆盛の遺訓集、南洲翁遺訓は庄内の人々によって編纂されたものなのです。明治22年、大日本帝国憲法が公布され、西南戦争で剥奪された官位が西郷に戻され名誉が回復された、この機会に、上野公園に西郷の銅像が立てられることになり、酒井忠篤が発起人の1人となりました。また菅実秀は西郷生前の言葉や教えを集めて遺訓を発行することにしました。詳しい内容は放送を観ていただきたいのですが、教えを広めるのにも庄内の人々が関わっています。
<ロケ地>
旧武家屋敷 菅家庭園(鶴岡市)
スタジオとして使わせていただいた場所です。江戸時代中期の作庭様式がそのまま保存されている貴重な美しい庭園です。床の間には南洲翁から臥牛翁へ宛てた書が掲げられています。また座敷では南洲翁遺訓の編纂が行われました。4月15日~11月30日の月・火・金曜日のみ (不定休)午前10時~午後3時開館となっています。今も子孫の方がお住いのため予約が必要となっています。
庄内南洲会 南洲神社(酒田市)
昭和51年、南洲翁の遺徳をたたえ、南洲翁と臥牛翁を祀る南洲神社が酒田市に創建されました。山形の地には今なお敬愛の精神が受け継がれています。南洲翁の遺墨や遺品が所蔵、展示されています。本州唯一の南洲神社です。(鹿児島市、奄美市、沖永良部島、都城市)
南洲神社(鹿児島市)
みなさんも良くご存知の鹿児島市上竜尾町の南洲神社は明治8年、南洲翁が設立した私学校へ庄内の青年2名が特別に入学を許可されました。明治10年、西南戦争が始まり青年らは庄内への帰郷を促されますが、参戦戦死してしまいます。この青年2名も南洲墓地に故郷の方角を向き眠っています。
ご紹介してきましたこと以外にもまだまだ薩摩と庄内の結びつきはたくさんあります。
ぜひ番組をご覧ください。ある地域には全部のお家に西郷さんの大きな肖像画を飾っていました。
こちらも取材して、山形のみなさんの西郷さん愛を感じてきました。
歴史が苦手だという方もいらっしゃると思いますが、番組では薩摩と庄内の関わりなど丁寧に説明しています。
ラジオをお聴きのみなさんのなぜ?も解決すると思います。また、西郷さんに詳しいという方もきっと楽しめる内容となっています。
歴史家で作家の加来耕三さん、鹿児島県ご出身の俳優榎木孝明さん、山形県の西郷さん!?
TUYテレビユー山形の鈴木竜弘アナウンサーとともにお送りします「薩摩と庄内を結ぶ 西郷の教え」は
9月19日(水)午後9時から放送です!ぜひご覧ください。