屋久島空港の近くで離島医療の灯を消したくないというとの思いで、「みんなの診療所」という医療施設を開業した肥後尚樹院長です。開設して5年目、そこには肥後さんの強い思いがある。
肥後さんは屋久島の一湊集落の出身で、現在47歳。
福岡市の病院勤務を経て、家族と一緒に島に戻ってきた。
小さい頃からの夢は医者か弁護士だったが、大学は畑違いの工学部に入学した。
しかし夢を捨てきれなかったため、もう一度人生を頑張ってみようと29歳のときに医学部に入り直し、勉強して医師となった。
肥後さんは、急性期医療の必要性を感じていたという。
離島だと、例えば脳梗塞や心臓発作など、緊急を要する疾患というのは、鹿児島市からのヘリコプターや飛行機が間に合わない可能性がある。そのときに党内で早く適切な処置ができていれば、命が助かる確率は確実に上がる。肥後さんは研修医時代から脳神経外科を専門にして、必ず屋久島に帰って緊急性のある患者さんを1人でも救おうと心に決めたという。
現在は、患者さんの様々な事情に合わせて、島内にある徳洲会病院などと連携して、可能な手術を島内でできる体制を整えた。
肥後さんは、生まれ育った一湊集落の診療所の医師も兼任している。そのおかげで、車のない高齢者が、気軽に検診や処方を受けられるようになった。閉院していた診療所が再開することで、過疎化に向かう集落の地域再生にも繋がると考えている。
肥後さんの原風景、それは小さい頃に両親と一緒に、一湊の二つ浜に出かけ、釣りをして、夕日を見ながら弁当食べたとこと。いま故郷に恩返しがでることが嬉しい。自身も家族を持って、島で楽しく暮らせるとことが、とても幸せだという。
妻も子育てをしながら、看護師として手伝っている。
肥後さんは、在宅医療や医療における子育て支援、教育などの観点からもご自身の立ち位置から見えてくる島の課題があるという。屋久島で育ったからこそ、医療が島の地域再生に貢献する役割や必要性など、いろんな方面から感じていることを今後、取り組んでいきたいと思っている。
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