アナ:68年前、1953年、昭和28年の12月25日、終戦から8年間、アメリカ軍に統治されていた奄美群島が日本に復帰しました。12月25日は奄美の歴史を知る上でとても重要な日です。
奄美大島の名瀬小学校の校庭で行われた式典は、ラジオで全国に生中継されました。この日まで盛んに行われていた祖国への復帰運動。復帰を願って断食なども行われました。復帰運動に父親が最前線で携わっていた楠田哲久さんです。
よろしくお願いします。
奄美の楠田書店といいますと、もう地元の方はもちろんですが、奄美に興味がある方でご存知の方も多いと思います。楠田書店の会長さんでいらっしゃるんですね?
はい、そうです。
楠田書店自体は創業何年なんですか?
楠田さん:今年で64年です。昭和33年4月、復帰の後に創業しています。私は2代目で、いま息子へ継いでますんで、3代目ですね。元々は普通の書店と違って、うちの場合は教科書をやるためにできた書店という感じですね。
あの哲久さんのお生まれは何年なんですか?
私は1947年、昭和の22年の生まれです。俗に言う団塊の世代です。
ということは統治下にあった頃のお生まれということですね。
哲久さんのお父様は、奄美が日本に復帰した後も楠田書店を切り盛りしながら、語り部としてアメリカ軍の統治下にあった頃、復帰後のことなど奄美の歴史を語り継いでこられたんですよね。
そうですね。泉先生にいろいろ薫陶を受けたみたいで、一生懸命やってました。
泉 芳朗(いずみほうろう)さんというのは復帰運動の父と言われた方ですけれども、その方にずっと一緒に付いておられたんですよね。
そうですね。父はその頃は市役所に勤務していまして、復帰協議会ができたときに中央委員として、市役所の職員という形で加わってたように聞いてます。
本当にめまぐるしく変わる奄美の様子。お父様の様子をご覧になって、哲久さんはどのように感じましたか?
復帰運動を一生懸命やっていた頃は具体的には覚えてないんですが、その後の泉 芳朗先生を偲ぶ会を作りまして、亡くなった後にいろいろと復帰のことをしっかりと次の世代に残さなきゃいけないと。苦しみ苦労をしっかりと次の世代に語り継いでいこうと、いろいろと記念碑を作るのに走ったり、泉先生の胸像を作るのに走ったりしました。そして12月25日は、日本復帰記念日というのを制定してくださいということで、各市町村にお願いをして、日本復帰記念日を、奄美群島の各市町村に制定していただいた。今思えばすごいことだったんだなと思っていますね。
それだけ12月25日というこの日、本当に大切な日にしたいという思いが強かったんですね。
そうですね。具体的には、日本復帰の歌の斉唱とか、断食時間の詩の朗読とか、それから復帰運動の思いや意義を語るようなことをやってくださいと。しかもその集会には小中高校生の参加もぜひお願いしたいというような文章でした。
それが68年経った今も、ずっとこの12月25日というのは、名瀬小学校でそしておがみ山でも式典が行われていますよね。
そうですね。
最初おがみ山は、子供なんかを連れて行くぐらいだったんですけれども、そのあと、中学生が劇をしたり、保護者や先生方が加わるようになったりして、行政も含めて、中心になってできたというような感じですから、やっぱり学校現場、結局教科書がないとか、物がないとか教える場所がないとか、そういうことで始まったのもありますので、だからそういう意味ではたくさんの人がやっぱり特に子供たちが次代を担う、子供たちが参加すると意義はあるんじゃないかなと思ってます。
お父様から復帰に関するお話を哲久さんはたくさん聞いてこられたと思いますが、その中でも特に印象に残っているエピソードはありますか。
泉 芳朗先生が、子供たちは日の丸を知らんからって、ポケットに日の丸を忍ばせていきまして、それが君らの祖国日本の国旗だとみせたんですよね。その後に軍政府いわゆるアメリカ軍からお咎めのために呼び出しがあったらしいんですが、そのときに泉先生は「何を言っていますか。これは本物じゃないと、模型なんですよ」ということでアメリカの軍政府に説明をして、これは日本であるということで、しっかりと渡り合ったっていうかね、いつもアメリカの軍政府の方と話すときには、決してひけめをとることなく、しっかりと訴えているというようなこと言ってました。その話は頭に残ってます。
お父様は2年前に96歳で旅立たれました。それまでは語り部として、その奄美の大切な歴史を伝え続けてこられたんですよね。
そうですね。子供たちに、ぜひこの話をして、奄美の復帰運動勝ち取ったという誇りを持って、羽ばたいてもらいたいという思いがあったと思います。
12月25日というこの日は、世の中で言うとクリスマスということになりますけれども・・・
そうなるとよくですね、アメリカ軍のクリスマスプレゼントで奄美はプレゼントだということで、アメリカからもらったというような表現をしますが、奄美の人はそうじゃないんですよね。8年間で勝ち取った、奄美の民族が勝ち取った復帰なんですよね。だから全然、視点が違うと思います。
今この令和の時代を生きていく上で、豊かさとはどのようなことだと感じていらっしゃいますか。
今の時代は情報がすぐ入るんですよね。必要な情報を感じ取る力、それをしっかりと活用していく力をつけることだと思うんです。特に奄美の子供たちが故郷奄美で良かったと誇りに思えるような島にすることが、大事かなと思っています。
一番はやっぱり心の豊かさを育む環境をつくることだろうと思います。島の自然や人や地球も同じ仲間という感じで、今から生きていくしかないのかなとは思っています。物質だけはなくて、心の豊かさを求めていく時代かなと思っています。
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