アナ:伊仙町役場健康増進課、地域おこし協力隊で歩健学、歩く健康、学ぶと書いて歩健学研究室代表の西村千尋さんにお話を伺います。徳之島は世界自然遺産登録から3か月経ちますが、その後、島の様子いかがでしょうか?
今まで登録地でみられた観光客は激増という状況は全く見られておりませんで、静かな船出といったところでしょうか。それでも隣の奄美大島ではかなり来島者が増えている様子で、徳之島もこれから少しずつ増えていくものと思います。
コロナが落ち着いてからゆっくり行ってみようと思っている人は多いと思います。西村さんは、地域おこし協力隊ということですが、ご出身はどちらですか。
私は徳之島の伊仙町の出身で、その後、瀬戸内の加計呂麻で過ごして、本土に出ています。大学、大学院を出て、福岡、静岡、長崎などの大学に勤務しまして、特に長崎にいるときにゼミの学生と新上五島町であるとか、佐世保市、雲仙市、他には宮崎県の中山間地になりますけど五ヶ瀬町の地域作りに携わっていました。また、島根県の隠岐の島の方で世界ジオパーク申請の手伝いなどもしてきました。
さまざまな離島も研究されたんですね。
そうですね。そういったところの地域作りの研究、あるいはそのお手伝いをして、いつかは奄美群島に帰っていきたいという思いで戻ってきました。
それで伊仙に戻ってこられたのはいつだったんですか?
2019年、2年前ですね。
3月に早期退職して10月から地域作りの実践に取り組みたいということで、47年ぶりに伊仙町に Uターンしてきました。
アナ:ほぼ半世紀ぶりということですね。いかがですか?伊仙の空気というのは?
すごく楽しいですね。いろんな方々が頑張ってらっしゃいますし、何より集落の方が明るいんですね。
お話をするのも、また楽しいですね。
非常に楽しい時間です。
いろんな離島を見てこられた中で、徳之島にしかないものというのを何か感じられますか?
私の場合は特に健康に関する仕事をしていましたので、やっぱり長寿と子宝という面がすごく興味をそそられまして、今でもそういう子どもたちからお年寄りまで、関わっています
空港の名前も、徳之島子宝空港ですもんね。健康に携わってらっしゃるということで、その歩健学研究室というのは、どのような研究をしてらっしゃるんですか?
主な取り組みとしては、ウォーキングとかスクエアステップエクササイズといった健康教育をやっています。そのほかに自然遊びだったり、あるいはちょっと海岸のタイドプールを使った水族館であったりとか。また、浜を歩くビーチコーミングです。こういった環境教育にも取り組んでいます。もう一つは、集落歩きガイド、これは世界自然遺産登録にちょっと関わる話でもあるんですが、そういうガイドさんの育成、それと小学校での島っ子ガイドという取り組みを、観光教育の形で関わっています。
島っこガイドというのは、地元の子供たちが島を自分の住んでる島を案内できるようにということなんでしょうか?
総合学習の一環として取り組んでいまして、徳之島の中では、伊仙町の阿権小学校、それと徳之島町の手々小中学校それと、天城町の金子小学校3校が取り組んでいます。
歩くということに関しては、徳之島本当に歩きがいの場所なんじゃないでしょうか?
世界自然遺産トレイルもありますし、伊仙町では各集落のウォーキングコースを作っています。長寿世界一ウォークというのも取り組んでいましたから、非常に歩くことに関しては、理解のある町だと思っています。
西村さんが、歩健学に取り組んだきっかけというのは何かあったんですか?
二十歳の頃から研究の一環として、生活習慣病予防のために運動の研究していましたので、その中で最も手軽なウォーキングを、これまで長年進めてきたんですね。そこに地域作りの要素も加えて、私自身も保健体育、あるいは保健の教員免許を持っているんですが、その保を歩くに変えてみて、地域作り、健康作りをできないかなということで、ちょっと変えてみたんですね。実は私は、日本ウォーキング学会の諮問委員もやっていて、ウォーキングで地域を作っていけたらということも積極的に発表しているところです。
今後の夢や目標を教えてください。
やっぱり歩くことで地域の良さを見つけて、地域への愛着とか、そういったものを醸成できればなというふうに考えています。それを通じて、そこに住む人あるいはそこに訪れる人の QOL、生活の質っていうんですけども、この向上に貢献できたらいいなと考えています。
令和の時代を生きる上で豊かさというのは、どのようなことだと感じていらっしゃいますか?
私は心の豊かさと人間関係の豊かさと考えています。
今研究を進めている中で「ソーシャルキャピタル」・・・ちょっと難しい言葉ですけども、「社会関係資本」というんですが、この豊かさが実は健康にも密接に関係していることがわかってきています。この島が好き、この島の人が好き、あるいはこの島で生きたいと思うような環境が、これからの時代は大切だと考えています。本当に人らしく生きて人らしく後世を終えたいというところがありましたのでそれを求めて、島に戻ってきました。子どもたちから高齢者まで、本当に明るくて一緒に笑って過ごせることで、そういったことに繋がっていくのかなっていうふうに考えています。
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