Q:団塊世代が作る無償ボランティア、奄美の寅さんこと花井恒三さんにお話を伺います。奄美の寅さんの「寅さん」というのは、映画「男はつらいよ」の寅さんのことですよね。
花井さん:そうなんですよ。
Q:奄美のご出身ですよね。プロフィールを教えていただいてもよろしいでしょうか?
花井さん:奄美空港とあやまる岬のちょうど真ん中に笠利町宇宿集落があるんですが、そこで生まれ育って、中学校までは笠利町ですね。高校は名瀬の方に行きまして、大学を東京行ったもんだから、少年期は、農村地区の奄美市笠利町。思春期が名瀬と東京というまぁバランスよく育まれまして。東京から帰ってきてから、県の職員に最初、なりまして、その後、市役所に転じまして。
Q:奄美市役所の方にということですね。
花井さん:定年退職までいました。好きな分野とかいうのをボランティアに切り替えたというか。いま73歳だから、もう13年ぐらいなりますかね。
それで奄美の寅さんという、頼まれもしないのにマドンナにおせっかいを焼いて。マドンナが喜ぶのを見て自分も満足するという。
Q:奄美に何かしら関わりたい人に対して、花井さんがそこにお手伝いをするということなんですね。
花井さん:私が在職中に得意だった分野というのが、奄美に移住したい人、奄美を大学生や大学教授のようにあの研究したい人、それから奄美に投資をしたい人。田中一村のように奄美で自己表現したい人、奄美につてのない方の最初の入り口を案内するという、ボランティアなんです。奄美の寅さんという名前負けしないかと思って。
Q:花井さんが現在取り組んでいらっしゃることというのはどんなことですか。
花井さん:奄美FM、奄美テレビの司会、1時間番組の司会をしたり。奄美生涯学習講座であったり、地元の新聞に連載したりしているんですが、生涯学習講座で今年は、奄美語。奄美語と書いて、「奄美ことば」という言い方しているんですよね。奄美の方言を学ぶ講座というか40名ぐらいの講座制で、今、やっています。
Q:言葉というのは、本当に大事に残していきたい文化ですもんね。
花井さん:奄美の全ての原点ちゅうんですかね。私が今、強調してるのが、日本語しか分からない人は、単純な思考力しかないよと。英語と日本語だけ喋れる人はバイリンガル、まあまあいいだろうと。それに奄美語まで使えていくと世界に通用する。多様なものの見方、考え方。世界解釈の仕方ができるような人材になるよという、そのために奄美語、故郷の言葉をですね。好きになりましょうと。まぁまぁこんな感じで。
Q:とても大切なことだと思います。花井さんは今、どんな夢をお持ちですか。
花井さん:私の方は、再来年が日本復帰70周年なんですよ。
そこで沖縄の復興と奄美とオンラインで結んでですね。やろうと今動きが沖縄の方からモーションがありまして、これで実現させたいなと。それからあと32年後に100周年を迎えるんですけど。
Q:復帰から100年ということになるわけですね。
花井さん:ちょうどこの世代が今の中学高校生が、主催者になる年代になるんですよね。
32年後は、となるとこの、今の中学生高校生に、いかに、32年後100周年の時に、奄美はこうでしたよという説明ができるような伝え方をするかというのに、まぁ一生懸命になっていると。そのためには、デジタル日本復帰記念館をですね。今もうデジタルで博物館作れる時代ですから。まぁこういった目標ちゅうか、何か関わりたいなと思ってはいますよね。
Q:そうですね。そもそも私が花井さんと知り合ったのも、あの戦後、奄美群島がアメリカ軍の統治下に置かれて、そのときの話をどなたかお話できる方いらっしゃいませんかということで、花井さんに相談させていただいたのが、そもそものきっかけではありましたけれども、このアメリカ軍の統治下8年間、戦後8年間、奄美群島も大変な生活をしたということは、本当にこれも皆さんに知ってほしい事実でもありますよね。
花井さん:大切な苦しかった。要するに奄美の歴史で唯一鎖国って言うんですかね。
この8年間、結局物も何も入らなかったわけですから、物質的には貧しかったけど、その分、心が豊かだったという言い方を、この年配の人たちはよくするんですよ。その辺を伝えていきたいなと思いますがね。
アナ:花井さん、この令和の時代を生きていく上で、豊かさというのはどのようなことだと感じていらっしゃいますか。
花井さん:奄美に今住んでる人はどういう人たちなんだろうと振り返ってみますと、このアメリカ軍政下の時に、物質的には貧しかったけど、心豊かな時代だったという。奄美文化が花咲いたり、それから現金では何も買うものがありませんので、物々交換したり、それから労働力をお互いで。労働力を貸し借りして、ようするにお金を介在しない。
生活があって、循環型経済を回したという。今で言えば有償ボランティアとか、それからボランティアの交換とかエコマネーとか、まぁあのコミュニティの力、地域力というんですけどね。そういった力がみなぎった時代で、物がないものに対しては、代用品を作ったり、海や山に探しに行ったりと、持久力があった時代ですからね。
今のポストコロナ、アフターコロナと言われる時代に今、昔の原点に帰ろうという動きが国全体に今ありますのでね。まぁゆったり暮らそう日本列島の東京の対極を奄美が担うという反対側の、担うという意味では自然も豊かだけど、奄美の人々の心も豊かも繋がってますよという。
Q:この8年間でやはり得た力というのを、今、また思い返して、そして生かしていく時期でもありそうですね。
花井さん:そうですね。その現代版を生かしていくんですよね。原点に帰れってよく言われるんですけど、日本復帰運動の、アメリカ軍制下の期間が奄美のあらゆる意味での原点だという意味で見ますと非常に面白い時代。引き継がないといかん時代ですよね。
この記事へのコメントはありません。