かつて屋久島の原生林が大量に伐採された時代に反対運動を行った住民のひとり、兵頭昌明さんです。
(兵頭昌明さん)「一度とにかく立ち止まって、実際に我々自身で考えてみようよと。他に道はないのか。ほかにもっと豊かな道があるんじゃないか」
兵頭昌明さんは屋久島の一湊出身です。屋久島高校を卒業後、島を離れ就職しました。当時は、高度経済成長の時代。木材需要の高まりから、屋久島では、原生林の大伐採が進んでいました。
(兵頭昌明さん)「屋久島の国有林は、老齢過熟林と位置づけたんです。生産力のない森だと。だからこれを新しく切って植えて、生産性の高い場所に、そういう林業の場所にしなければいけないと。ですけどね、それは違うだろうと。屋久島の中で日々暮らして世代をつないでいく人たちが、まず、ものを言わないといけないのではないかというのが原点」
1971年、兵頭さんは屋久島に戻り、伐採の反対運動を始めました。林業で生計を立てる住民が多かった屋久島ですが、次第に、禿山に変わっていく姿に心痛め、住民たちは、徐々に反対運動に賛同していきます。
(兵頭昌明さん)「子どもの頃にあそんでいた山が、原生林が目に見えて消えていくわけでしょ。何千年と生きた屋久杉にチェーンソーの刃を当てている住民にしても、断腸の思いで当てているはずだ、それは間違いないんだから」
1982年、反対運動は実を結び、原生林の伐採は中止に。
(兵頭昌明さん)「そこから富を得ていいんですけど、それは、分に応じて、そのとき関われる範囲というのがあるわけですよ。人智の及ぶところではないんだと、人の知恵のね、それを学ぶべき場所として、屋久島があるんだ、屋久島の原生林はあるんだと」
1993年、屋久島は、世界自然遺産に登録されました。しかし、兵頭さんは世界遺産の登録を目指していたわけではありません。兵頭さんが活動を通して本当に守りたかったもの。それは屋久島の未来は島民が決めるという生き方でした。
(兵頭昌明さん)「いつもいうんですけど、グローバルスタンダードという言葉がありますよね、それに対して、地方はね、ローカルスタンダードを持つべきだと。そういう気概を持たないと、離島へき地というのは、いつでもそういう意味では、矛盾の先端に立たされるわけですから」
島民が胸をはって、自分たちの考えで島を守っていく。兵頭さんの胸にあるのは「屋久島標準」の考えです。
(兵頭昌明さん)「最近よく言われるのは、自然遺産の島だから、世界遺産にふさわしい、とかね、という言いかたをする、それはそうではないだろう。逆だろう」
(兵頭昌明さん)「まずはエゴがないと、地域エゴ、おおいに結構。だからどこに行っても、いくつになっても、それをはっきり出せる人間になってほしいと思いますし、そういう屋久島が保たれていくことが大事。だからもう、あんまり、世界標準はいいから、そうじゃなくて、屋久島標準でものを考えろ」