シンガーソングライターで屋久島での音楽イベントを立ち上げた池田綾子さんです。
(池田綾子さん)「私は屋久島で歌う意味は原点に戻るという気持ちがある」
池田綾子さんは東京都出身。14年前に屋久島で仕事をすることになった恩人のために曲をつくったのが、屋久島との最初の接点でした。
「星降る森という、まだ見ぬ屋久島をパソコンで検索して、伝説や島に住んでいる絵描きさんの絵を見ながらイマジネーション膨らませて書いた曲ですけど、その曲を書いた時から私の人生に屋久島と言うワードがいろんなところから聞こえるようになった。その半年後になって屋久島の山に初めて登ってとっても感動して、命は1つのつながりなんだと思えるような、素晴らしい体験をした」
しかし屋久島の山を訪れたその日、池田さんの友人が屋久島とは違う雪山に登り亡くなりました。ショックを受けた池田さんはその後、すがるように屋久島をもう一度訪れ、友人の死に自分なりの答えを探しました。
「未来の子供たちに残していけるような音楽祭があったらいいのに、子供たちやおじさんおばさんもみんなで楽しめる音楽祭があったらいいのにという話を聞いて、これをしに屋久島に来たのかなと」
池田さんは、島の人たちと野外コンサートを開くことを思いつきます。そして2006年の秋、第1回目のやくしま森祭りが開催されました。
「屋久島の皆さんの温かさ、ずっと心に灯がともったら情熱を持ち続ける愛情深さを凄く感じた。だんだんこの音楽祭、今年もやるんだと、10年を過ぎた頃から、これをずっと次の世代にバトンタッチできるような100年続くお祭りにしたいという思いが全員の中で確かめあうことができて」
「屋久島の森の中にひとつのキャンドルの灯の光の意味、森の闇の中で星が輝いて、ちょうど良いほの暗いライトをともすと優しい光が浮かび上がってくる、その景色をみたくて、お客様の声が、森祭りの魅力となって、いろんな音楽、超一流の思いあって集まってくださったアーティストの声を聞きたいというその思いです。それがずっと続いていてきている」
「会場に立って歌っていると内側から湧き上がってくるメロディーがある。塩谷哲さんと一緒に流星という曲を作った。それはひとりじゃない、繋がりあう手と手でみんなで生きていくという歌。数々の曲があのステージの感動から生まれてきている」
「その曲が持っているエネルギーってあると思う。私の曲だけでなく世界中のたくさんの曲が持っているエネルギー。その曲を口ずさんだときに心がわーっと温かい気持ちに染まっていく感動だったり、それが聞いてくださった方と共鳴して同じ色に染まっていけるような、そういう気持ちで歌えたらいいなって思っている」
「人との関わりもそうだし、年に1度みんなと再会できてそして屋久島の素晴らしい幻想的な風景の中で歌が歌える時に全てがゼロに戻っていくというかここからまた1年、来年の開催まで頑張ろうとすごい感謝で溢れる」
「私の1つの歌う意味であり、歌う気持ちの柱になっている。本当の意味で働くこと、それはその金銭の意味ではなく、本来の意味で他のためになることが実感できることが本当に幸せだなと。もうちょっと音楽やってていいんだ、音楽を頑張ろうと、謙虚な気持ちから次につながるというか本当に幸せな瞬間だと思う。ほんとに原点回帰、私にとっては人生通して絶対に続けていきたい音楽の輪だなと思っています」