薩摩の教え

郷中教育の歴史~島津義秀さんのお話③

明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今週は、加治木・精矛くわしほこ神社の宮司を務めるかたわら、薩摩武士道の精神を継承する活動に取り組んでおられる加治木島津家第13代当主・島津義秀よしひでさんのお話をお届けしています。

 

昨日は、戦国時代の末期、島津忠良ただよし日新公じっしんこうが「いろは歌」を青少年に普及するために薩摩琵琶さつまびわを改良し、プロデュースしたというお話をお伺いしました。

島津さんによると、当時、日新公じっしんこう薩摩琵琶さつまびわをプロデュースするとともに「歌舞かぶ音曲おんきょくを禁ずる」という禁止令を出したのだそうです。歌やまい、音楽や曲を口ずさむことは浮ついており、風紀を乱すとして禁止されたのです。
一方で「ただし、琵琶びわ天吹てんぷくは音曲にあらず」、「侍踊りは歌舞ではない」として、薩摩琵琶と天吹、侍踊りは、武士のたしなみとして奨励されるようになり、武士たちの間で広まっていくことになったのです。
そうこうしているうちに、薩摩を大きく揺るがす、あの戦が起こります。


 

(島津さん)大小いろんな戦があったわけです。いちばんのハイライトというのが1600年の天下分け目の関ヶ原の戦いです。ここでもし全滅していたら、この話はなかったと思うんです。

ところが、記録によると、1500名で出陣して300数名になりながら敵中突破して、地元の鹿児島まで80数名が帰ってきたと。そういう歴史的な話があり、この80名のもとに、地元の若者が、話を聞きたいといって集まったわけです。

そして、関ヶ原の話を伝えてほしいと自主的な勉強会がだんだん広まっていく。これを、次に、次に、伝えていくなかで、この動きが自然と始まって郷中教育というスタイルになっていった・・・ということを聞いています。

 


 

それでは、この続きはまた明日。

郷中教育の歴史~島津義秀さんのお話②前のページ

郷中教育の歴史~島津義秀さんのお話④次のページ

関連記事

  1. 薩摩の教え

    薩摩琵琶の継承~濱田眞民さん④

    今週は、薩摩琵琶制作の復活への思いと活動について、薩摩琵琶制作研究の会…

  2. 薩摩の教え

    遺訓の持つ意義、西郷の心境~加来耕三さんのお話③

    明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さ…

  3. 薩摩の教え

    郷中教育36

    今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介していきます。先週は…

  4. 薩摩の教え

    郷中教育49

    今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。郷中の…

  5. その他

    お便り ご紹介⑤

    今週は、ラジオをお聞きの皆さんからいただいたメッセージの中からご紹介し…

  6. いろは歌

    いろは歌「む」(23番目の歌)

    今日ご紹介するのは、いろは歌の23番目の「む」の歌です。昔より 道な…

PAGE TOP