薩摩の教え

郷中教育16

今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介していきます。

先週からお伝えしているように、明治41年、イギリスの軍人 パウエル卿が、イギリスの少年達の心身を健全に育成する為、創ったとされる組織「ボーイスカウト」。創設のもとになったのは、薩摩の郷中教育であったという説があります。

遠くはなれた薩摩とイギリス。その接点は、「生麦事件」をキッカケとした薩英戦争にありました。
今週からは、その後の経緯いきさつをご紹介します。


 

薩摩とイギリスは、生麦事件解決に向けて交渉を重ねます。和平交渉は、紆余曲折を経て、ようやく妥結します。
その過程において、イギリスは『幕府には、もはや日本を統治するパワーの無いことを看過みぬき
一方、薩摩はすぐれた外国文明を知った』と言われ、この時からフランスは徳川幕府のスポンサーとなり、イギリスは幕府を倒す、いわゆる討幕派の長州・薩摩の後ろ立てと成ったのです。

従って討幕の戦いは、日本においては、フランスとイギリスの代理の戦いだったとも考えられます。

 

薩摩とイギリスの間に入って、様々な便宜を図ったのは、イギリスの商人・グラバーでした。
幕府の目を盗み、甑島・奄美大島へ出張と偽って、薩摩の留学生19人を串木野・羽島からイギリスへと送り出したのは、グラバー。薩摩藩英国留学生のことですね。

また、五代友厚が機織機はたおりき100台を購入したのも、ロンドンのプラット・ブラザーズ社からでした。
詳しくは、また明日。

では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日めにっごわんそ!

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