今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。
今朝は、郷中における女性の暮らしをお伝えします。
女子は、子供であろうと成人であろうと夜の外出は許されていませんでした。
特に行灯などに火をつけられてからの外出は絶対に禁止で、止むを得ず外出しなければならない時は、女中、或いは、下僕を伴わなければなりませんでした。
青年になってからの男女の交際は、絶対にタブー。
この掟、女性だけでなく二才でも同じ。二才が女性と会うことは、「穢れ・不浄が身に及ぶ」として遠ざけるものでした。
例え、兄・妹の兄弟であっても、道端で言葉を交わすことも厳禁でした。
例えば、桃の節供でも稚児や二才衆は、住まい近くにいることを避け、近くの丘に登り心身を鍛えたものだった・・・と伝えられます。
現代の私たちから見ると、とてもとても信じられませんね。
結婚は、女性の意思は全く認められず、父母・両親の言うがまま。
本人はそのことに不平・不満を述べることも出来ませんでした。
少し大げさかもしれませんが、女性は挙式の朝まで、自分が嫁ぐ先、夫となるべき男性の顔も知らず、ましてや性格など知らないまま嫁いでいったのです。
嫁いでいった娘の「不行き届き」を心配する娘の母親は、娘の足らない点を補い、先様の親族に対して義理を尽くすのが務めでした。
母親の心労は、並大抵のものではなかったと思われます。
そんな母親の努力のおかげでしょうか、娘が離縁されることは滅多になかったと言います。
では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日ごわんそ!