きょうは、いろは歌の「ろ」をご紹介します。
「楼の上も」の「楼」とは、高い建物を指します。次の「埴生の小屋」とは、土の上にムシロを敷いて寝なければならない程の粗末な家や、草葺の小さな小屋を意味します。
さて、歌のおおよその意味ですが、
立派な邸宅に住んでいようと、どんなにミスボラシイ小屋に住んでいようと、その家の資産価値によって、人間の覚さ・貴賤を決めてはいけない。
つまり、その人の地位が自分より下であろうとも、また、どんなに貧しい生活をしていても、その人の心が立派であれば、その人を尊ぶべきである。人に上下はないが、心には豊かな思想と、貧しい・卑しい心がある。従って私達は、心の修養を続けることが大切なのだ
と説いているのが、いろは歌の「ろ」なのです。
日新公が日置の伊作で呱々の声を上げた明応時代は、戦国時代と呼ばれ、北条 早雲・織田信長が獅子奮迅の活躍。全国的に騒がしい時代で、その流れは私たちの薩摩でも同じでした。
その様な世の中の慌ただしさに耐え、運命を切り開く立派な武将に育って欲しいと、母の常磐は、日新斉をお寺に預けます。
母親の意に反し、日新斉は、ヤンチャを繰り返し、思い余った頼増和尚は、日新斉を何度も柱に縛りつける厳しい処罰を行うなど、思い切った手段を採ったようです。
以前もお話しましたが、日新斉が縛り付けられた柱は、日新柱と呼ばれ、実物は焼失してしまいましたが、再建されたものが日置市立伊作小学校に残されているそうです。
この歌、あなたの明日のお役に立てれば幸いです。
それでは、また明日。毎日ごわんそ!