薩摩の教え

郷中教育27

今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。

郷中と一言でお伝えしても、その下に「方限ほうぎり」という組織が存在していました。
昨日ご紹介したように、鶴丸城前のお堀を境に東と西に分け、それぞれを上方限かみほうぎり下方限しもほうぎりに組織わけしていました。

例えば、上方限かみほうぎりに属した組織は、鶴丸城下には、「岩﨑ゆわさき冷水ひやみず清水馬場しみずばば」など15ヵ所、下方限しもほうぎりに属した組織は、「新照院・高見馬場たかみばば」などの18ヵ所。上・下併せて33の方限ほうぎりが存在していました。

地方には、いくつの郷中が存在していたのか資料が残っていませんので、はっきりとした数字はお伝えできません。

 

薩摩は「人を以って、城と為す」という考えのため、お城は鶴丸城だけで、地方には、麓と呼ばれる集落が存在し、そこに住むお侍・武士は、日常は農業にいそしみ、合戦があるときだけ太刀・弓矢を取り、敵と戦っていました。そのため彼らのことは、日によっては農業に携わるという意味で「してべこ」、または、「外城侍とじょうざむらい」などと呼んでいました。

 

その麓のお侍さんの子供や青年、子弟を教育するため、郷中教育が行われました。
薩摩には、そんな「麓」、つまり外城が102存在しており、それぞれの中で郷中教育が行われていたと推測されるのです。

 

鶴丸城下、そして麓の郷中教育の掟は、

第一は、武道をたしなむべきこと。ねてさむらいの格式油断なく穿儀せんぎ致すべきこと

即ち、武士・侍として恥ずかしくない修練を積み、一旦緩急(差し迫った事態が)あれば、遅れをとらないよう、身も心も鍛えて立派な侍としてつとめを果たすよう、訓練するのが二才にとっての掟でした。

 

では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日めにっごわんそ!

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