庄内藩中老・菅実秀の玄孫、菅秀二さんへのインタビュー。
今日は、西郷南洲遺訓の出版から配布、またそこにあった庄内藩士たちの思いについて伺っています。
(菅さん)「初版が明治23年1月18日。東京の出版社「集英社」の印刷所だった。部数は100部もなかったと思う。 それを、3月までの間に、全国の有志に頒布するために1000部作ろうじゃないかということで、実際に1000部を注文している。
流通網もない時代、庄内藩士6名を選び、二人一組にして、東京関東地方2名、近畿・中国・九州を2名、それから北陸・北海道を2名・・・ということで、1人150冊くらいずつ背負って、全国の有志に配って歩いた。遺訓は非売品ということで、金額はついておらず、非売品と印刷もしてあった。」
それにしても、ここまでして遺訓を広めようとした庄内の人々、どのような思いを抱いていたのでしょう・・・
(菅さん)「明治22年、明治憲法が発布され、西郷さんの賊名が解かれ、従来正三位公爵に復位するが、その時に実秀は西郷についてこのように語っている。
『西郷先生は偉大な徳量と卓越した力量を兼ね備えられた賢人であって、権力や謀略をもって世を圧倒する人たちとは、本質を異にする人物である。先生の真意を後世に伝え、先生の遺志を継ぐことに命を捧げよう』と。
その強い実秀の意思が皆の原動力となって庄内有志のそれぞれの思いがこの遺訓に集約されている…と思われます。」
(岩崎)命を捧げようとまで書いてあるんですね。。。
明日もお楽しみに。