西郷南洲遺訓に続き、今週は、西郷さん自身が詠んだ「漢詩」をご紹介してきました。今日は、何気ない日常や、鹿児島の地名から、西郷さんの鹿児島での暮しを感じさせてくれる二つの詩をご紹介しましょう。
まずは、桜島が出てくるこの詩です。
早起開扉望桜峰 早起扉を開いて 桜峰を望めば
雲間白雪奥応冬 雲間白雪あり 奥は応に冬なるべし
両三詩客訪茅屋 両三の詩客 茅屋を訪い
汲水喫茶共忘庸 水を汲み 茶を喫して 共に庸を忘る
意味は…
朝早く起き、窓の扉を開いて桜島を望むと、雲間に見える山のいただきには雪が白い。
ここはまだ秋であるが、あの山奥はもはや冬になっているにちがいない。
やがて二三の詩の友達が、我がこのかやの伏屋を訪ねて来、
主客一緒になって水を汲み湯を沸かし、茶をすすって共につかれを忘れ、
共に詩を作って時を忘れる楽は又格別である。
そしてもう一つ、
ト居勿道倣三遷 ト居道う勿れ 三遷に倣うと
蘇子不希児子賢 蘇子は希ざりき 児子の賢
市利朝名非我志 市利朝名は 我が志に非ず
千金抛去買林泉 千金抛ち 去って林泉を買う
意味は…
自分が今度住居を移したのは、孟子の母が孟子の教育のためを思うて三所に住居を移された、
あの真似をしたのだなどと言ってくれるな。蘇東坡先生はその子息が賢明になる事を願われなかった。
市で商をして利益を得たり、朝廷の役人になって名誉を得たりする事は自分の志望ではない。
金もいらねば名もいらぬから、大金を惜しげもなくほうり出して、林や泉の自然のながめのよい屋敷を買ったまでの事だ。
どちらも政治や争いごとから離れた鹿児島での穏やかな暮らしを感じさせる漢詩ですね。
西郷さんにも桜島を眺めてほっとしたり、武村の屋敷で家族と過ごした日々があったんだなあ…と思えて少しほっとするような。。。
でも孟母三遷など自分の思うところではないというあたり、西郷さんらしい気がします。
来週は、私達に西郷南洲遺訓を遺してくれた、ある意味恩人の旧庄内藩にまつわる方々に、お話を伺ってみたいと思います。