薩摩の教え

斉彬のすごさとは~加来耕三さんのお話⑤

今週は西郷南洲遺訓の紹介をお休みして、歴史家の加来耕三さんのインタビューをお送りしてきました。今日が最後です、どうぞお聞きください。

 

(加来耕三さん)「封建制を続けている限り、日本の国は欧米の植民地になってしまう。
救う方法は一つ。「国を作って、国民一人一人が、国を守る…という中央集権化しかない」というところまで、斉彬は行き着く。
そのことを託したのが、後継者である久光であり、愛弟子である西郷さんだった。

そういう意味で言うと、本当に追い詰められた感覚を斉彬は持っていた。
何故かと言うと、琉球を支配していたから。
鹿児島を中心に世界地図を見ると、江戸までと上海までの(薩摩からの)距離は一緒。斉彬は世界を見ていた。なおかつ、分析力のすごさは抜きん出ていた。

例えば、イギリスが強い理由は、大砲と船、つまり、物理と化学だ…と。この二つさえ勉強すれば日本は欧米に勝てる…と。
また、来る敵を迎え撃つのではなく、こちらから攻めていくぐらいの気概がないと駄目だ…とか。
30代そこそこで言っている。

西郷さんはそれを実践した人。ただ、西郷は江戸無血開城までは教えてもらっていたが、それから先(どういう国を作るか)は聞いていなかった。
だから、西郷はあのまま引退したかったのに、あまりにも名声が高すぎて引退できなかったところから悲劇が始まった。(斉彬はその先のイメージも持っていた?)

幕府の形を変えなければならない、次の将軍を誰にするか…というところで亡くなったので、そのあとの展開は知らない。
斉彬なら、慶喜を除いて廃藩置県まで一気に行ったか、それとも久光のように、藩だけは残すという形をとったか。。。

そういうことを考えられるのも、学問の楽しさ。
忙しい人ほど立ち止まる時間、頭を切り替える時間が必要だと思う。。。」

 

いろんな可能性の中から、今、私たちが生きている「一本の歴史の道」が出来ているんだなと、改めて感じました。

来週から、また西郷南州遺訓をお送りします。お楽しみに。

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