いろは歌

島津日新斉の生い立ち その3

今週は、いろは歌を創った島津日新斉じっしんさいの家系をお伝えしています。

伊作島津当主となった善久よしひさは、新納 是久にいろ これひさむすめ常磐ときわめとります。今から530年昔、室町時代中期、延徳えんとく時代のことです。
善久・常磐夫妻は娘を二人授かりましたが、当時の風潮として家督を継ぐべき男児だんじがいない。
このことをうれえた善久は男の子に恵まれるよう、(現在の南さつま市)多夫施たぶせ 金峯山きんぽうざん蔵王権現ざおうごんげん(山岳信仰と仏教が結びついた日本独自の信仰)に3年間、祈祷きとうすることを決め、毎月・丑の日に参詣さんけいしたということです。

翌々年 明応めいおう元年(1492年)9月23日夜に呱々こここえを上げた、玉の様な男児誕生。
善久夫妻の喜びは例えようがなく 菊月きくづき(旧暦の9月)産まれの男の子に“菊三郎きくさぶろう”と名づけました。これが後の日新斉じっしんさいなのです。
古い記録 古書物こしょもつを読んでみます。

菊三郎君きくさぶろうぎみ ちょうずるに及びて骨格たくましく 手足すぐれて長く 容顔かおかたち特に美しく、眼晴ひとみはきらきらと輝き 頭髪パラパラに打ち散らし そう葉の如し 見るからに偉人の形相 備われり

とあります。しかし菊三郎が三歳の折に、不幸が発生。父の善久が下人げにんに襲われ他界。
それ以降、菊三郎は三歳にして当主、お殿様としての道を行くことになるのです。

それではまた明日。毎日めにっごわんそ!

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