【#20】加計呂麻バス 代表取締役 林健二さん
今週もお聞き頂きまして、ありがとうございました。
担当の鶴園直子です。
このコーナーでは、「私たちの日常を支える人」すなわち“ささえびと”。
地元や地域、街を盛り上げ、元気にしようと頑張っている“ささえびと”をご紹介します。
さて今週MBCでは「奄美スペシャルウイーク」をお送りしています。
このコーナーも今週は奄美の方をご紹介します。
舞台は奄美大島の南に位置します、瀬戸内町の加計呂麻島です。
島を発着するフェリーの時間に合わせて、島の各集落を結んでいるバスがあるんです。
その名も「加計呂麻バス」。
今日は「島の皆さんの日々の生活を支える人」ご紹介します。
大島郡瀬戸内町にあります、加計呂麻バスから、
代表取締役で自らバスのハンドルも握る、林 健二さんです。
🚍加計呂麻バスは、どれくらい前から島を走っているんですか?
昭和55年からになりますので、今年で41年になります。
元々は、奄美大島に本社を置く「林バス産業(たまたま名前が一緒でした!)」の加計呂麻営業所ができるのをきっかけに、
当時運転手をしていた私の父が、所長になったのが始まりでした。
加計呂麻島で初めての陸上の公共交通機関でした!
🚍加計呂麻島にバスが走る前までは・・・?
バスが走る前までは、海上交通が主流でした。
加計呂麻島は実は、喜界島と与論島を足した面積よりも大きな島で、30の集落が点在しているんです。
個人が運航をする小型定期船が、海岸線の各集落を回っていましたし、
市街地のある大島本島(古仁屋)側へ買い物に行っていたような、船が頼りの生活でした。⛴
🚍バスが走り始めた当時は、島の皆さんにとってすごい変化だったでしょうね?
当時の島の人たちはバスを見たこともなかったので、
運転手さんのことを「船長さん」と呼んでいたみたいです。
🚍加計呂麻バス、こんなこともしています!
運転手は人を運ぶことはもちろんですが、危険物でない限り何でも運んでいます。
大島本島側(古仁屋)からフェリーで運ばれてきた荷物を運転手自ら仕分けして、
お弁当🍱や生鮮食料🍆から、お客さんに頼まれたケーキ🍰、畑の肥料🌱、それぞれの集落にある商店の仕入れ、
お年寄りが物産店へ出荷する野菜🥒などなど、いろんな荷物を積み込んで運んでいます。
身体が不自由なお客さんが乗り降りする際は、
安全確認した上で運転士が、踏み台ステップを乗降口に置き、手を引いて乗り降りの介助を行っております。
私たちは人的バリアフリーと呼んでおります。
🚍先代のお父さんの時代から、島の皆さんの日常に寄り添う毎日でした。
学校給食も運んでいましたし、頼まれれば山羊の餌をあげたり、
昔は今と違って、他人でも通帳と印鑑を持っていけばお金をおろせましたから、
運転手に「お金をおろしてきてー!」と言って、通帳と印鑑を預ける人もいたみたいです・・・。
今では考えられないですけどね!
🚍最近はどうですか?時代で変わるものですか?
昔とあまり変わりはないですね!
新聞配達が今も、朝1番の運転手の仕事です!
島の皆さんがバス路線の道沿いに、パイプなどで作った手作りのポストを置いています。
それが、運転席から直接入れやすい高さなんです。そこに新聞を投入するスタイルとなりました。
新聞がたまっていたら声掛けをしたりと、島の人たちの見守りの意味でも大事だなーと感じています。
🚍これからどんな想いで、このお仕事を続けていかれたいですか?
過疎や高齢化により、少しずつ島の暮らしも変わりつつありますが、
これまでと変わらず、人と人が触れ合う、
運転手さんとお客さんの距離が近い、身近な存在でありたいと、今も強く思っています!
また、奄美は世界自然遺産に登録されましたので、
加計呂麻の環境を守りながら、今後も、観光も楽しんでもらえるようなバス運行をしていけたらと思っています。