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慶応4年 閏4月の出来事

旧暦だった慶応4(1868)年には、4月と5月の間に閏4月が1か月ありました。閏4月に起きた主な出来事をまとめました。

旧暦は、月の満ち欠けの周期で1か月を決めていて、ひと月は平均29日半1年は354日になります。季節の巡りにあった太陽暦の365日に対し、3年間で34日ほど不足します。
そこで旧暦では、およそ3年に1度、1年を13か月にして、季節と暦のずれを修正します。

慶応4年にあった閏4月の主な動きです。

1日、イギリス公使パークスは、信任状を天皇に提出し、新政府を承認しました。

6日には旧幕府で勘定奉行や海軍奉行などを歴任した小栗忠順が新政府に処刑されました。
東北では、新政府と諸藩の対立が深刻化しています。新政府の奥羽鎮撫総督府は、会津と庄内藩の討伐のため、東北諸藩に出兵を命令。3月から一部で戦闘も発生しています。

これに対し仙台藩、米沢藩、秋田藩など14藩は、12日、会津の赦免などを求める嘆願書を奥羽鎮撫総督の九条道孝に提出しました。しかし嘆願書は却下され、新政府は会津追討を命令。これに東北諸藩は強く反発します。
奥羽鎮撫総督府の参謀長州の世良修蔵は、「奥羽は全て敵として討伐すべし」との密書を薩摩の大山綱良に送りますが、仙台藩士らに発覚し、処刑されました。

東北の25藩は23日までに仙台で白石盟約書を締結し、団結して朝廷へ会津藩と庄内藩の赦免を嘆願する構えです。